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2024/03/31 13:04:05 (L1NE9rQ3)
二年程前になりますが「風変わりな私の被虐」といったタイトルで投稿した者です。
覚えてくれている方が居れば幸いです。其れ等の経緯を改めてお話しさせて頂きたいと思います。
私は老年の女性、つまりおばあさんに縛られることを強く望んでいるマゾ男なのでした。
もちろん現在に於いても、その性癖に変わりはありません。おばあさんと行かない迄も歳上の女性に縛られています。
時は大学の夏休みを利用して、人里離れた山間部の農家を訪ねた私なのでした。
そこで非常識極まる思いを農夫婦にぶつけたのでした。「縛って欲しい」と言う願いをでした。
願った相手の者は、ご夫婦のご主人ではなく、婦人の方でした。老女に縛られなければ意味のない事でしたから。
長時間の説得の甲斐あって私の常識を逸脱した願いは叶えられたのでした。ご夫婦からの了解を得られました。
女房が良いと言うのであれば、儂は構わないと言う事でご主人には了承して貰いました。
婦人の方は戸惑いながらも、恥じらうかの様にして縄を手に取って、私への縄掛けの意を示してきたのでした。
私は嬉しさと喜びの為、口から心臓が飛び出す程の興奮に襲われながら、両手を背中に回したのでした。
そうして、望み通りに後ろ手に縛ってくれた婦人なのでした。
モンペ姿の農作業着のおばあさんに後ろ手の縄尻を獲られて引き立てられる惨めさ。その快感に酔い痴れました。
これこそが今日迄、私が夢にまで見続けて来ていた自身の被虐の光景なのでした。
歩まされた先は、農作業小屋でした。その中での監禁を望んでの事でした。
そこで更なる要求を投げかけた私なのでした。裸の私への縄掛けを望んたのでした。
ご主人の許可も取り付けて、婦人の前で全裸になった私でした。
改めて、素肌に受ける縄の締め付けに酔い痴れるのでした。思いもよらぬ股縄迄施してくれた婦人なのでした。
訳あって、前回はそこで終了してしまいました。中途半端であったことに、又いつの日にか全文を記してみたいと思っていました。
その農家の作業小屋に滞在したのは、夏休み期間中の殆どの時間でした。
婦人への奉仕者となって過ごした凡そ30日間のめくるめく倒錯を日々でした。幸福の至りでした。
私の望みは度を増すばかりで、猿轡を求めて婦人を驚かせたたり、婦人が着けていた使用済み下着迄も強請り、婦人を困惑させたりもしました。
嫁いで行った娘が夏休みを利用して子供を連れて帰省して来て、小屋の中の私を発見したりしてのアクシデントもありました。
山にひぐらしの蝉の鳴く頃に、いよいよ私は山を降りる日が来たのでした。後ろ髪を引かれるようにして一人街に帰るのでした。
21
2024/03/31 10:59:01 (89pjtQQn)
結婚してまだ5年、35歳の会社員です。
妻は28歳と7歳離れていて、見た目はさらに幼く、メイクとファッションで女子高生になれます。
身体はムッチリ系、顔はふっくら丸顔で、AV女優の愛須心亜さんに似てる、垢抜けないロリ顔なんです。
私は7年前、セーラー服姿の妻をナンパして、援助交際を持ちかけました。
見た目純情そうな女子高生に見えたので、蒼い蕾をウッシッシと思ったのですが、ホテルに入りシャワーを浴びるやいなや、後ろ手に手錠をかけられ、???と思ってると足かせ架けられてベッドの柱にがちゃり、大の字拘束に遭いました。

すると妻は、ビデオカメラを回しながら、上だけセーラー服を着ると、私に騎乗位で跨り腰を振り出しました。
大の字にされて女子高生に犯される・・・それを撮影される・・・ヤバいと思いました。
腰をクイクイ、本島ん女子高生かと思う腰遣いで、私は生挿入で射精したら一大事だと、必死で射精を我慢しましたが、耐え切れず、
「出る。本当に出ちゃうからもうやめて!」
と叫ぶと、私から離れた妻は、幼顔を不敵に歪め、私のペニスを扱き始めました。

ハアハアしながら、女子高生の目の前で、手コキで射精させられて溜まるかと我慢しましたが、あっ兼くドピュンと射精、
「おじさん、女子高生の女の子に扱かれて射精なんて、みっともないね。」
と言いながら、扱きを辞めないので私は悶絶、射精後の敏感ペニスを扱かれるのは地獄で、悶絶してしまいました。
そして、やってくる二度目の射精、ビュッ・・・ビュビュ・・・
「いやらしいチンポだね。おじさん2回も射精して。」
と言いつつまだ扱きを止めないので、ヒイヒイ状態、そして三度目の射精、ピュピュ・・・
「おじさんやめてよ~~あんまり私が可愛いからって、3回も射精して・・・」

なおも続く扱きに涙目、そして、四度目の射精をタラタラと・・・
「透明な精液、もうでないかな・・・」
四度目の射精を終えたペニスをシコシコ、
「ああ、うう、やめて、やめてくれ・・・」
「やめてもいいけど、おじさん、私のチンポ奴隷になってよ。さっき跨ったら、なかなかいいチンポだったしこうしてチンポ苛めしたいしさ。ダメならこの動画、アップしちゃうよ。」

こうして、年下のロリ娘の性奴隷となったのです。
そして、過酷な調教を受けることになりました。
屈辱のペニス緊縛、普段拘束されることがない男性のシンボルが、ギュンギュンに緊縛され、見るも無残な姿になります。
2つのキンタマそれぞれ独立して縛り上げられ、イタキモ状態です。
そして、竿を紐で縛られ、チャーシュー状態、卑猥でマゾっぽくなります。
とてもエロティックで屈辱的な外観に仕上がります。

見た目は女子高生の女の子に、器用にペニスを縛り上げられていきます。
「ああ、俺のペニスがイタズラされちゃってる。お仕置きペニス・・・」
この凌辱感が快楽になっていくのです。
そして、耳カチューシャと赤い首輪をつけられる屈辱の中、独立して縛られたキンタマから延びた紐がリードに結ばれ、それを引っ張り回されるのです。
キンタマリード、そのリードを引っ張られるたび、うめき声g出ます。
四つん這いで引っ張られる方へ歩かされます。
それも全部撮影されてます。

キンタマリードでお散歩させられ、その羞恥と被虐に興奮して、ペニスはギンギン、あまりの恥辱に興奮しすぎて、妻のアパートの畳に精液を漏らしてお仕置きされました。
ピンピンになっている査有毒??つして縛られたキンタマを、デコピンされました。
これはうめき声が出てしまいます。
逃げようとすればリードを引かれてさらに呻かされます。
そして、
「オラオラオラオラオラ~~射精したいならしろ~~」
ッと高速手コキ、出そうになると放置、そしてまた高速手コキの繰り返し、射精したくてビンビンのペニス、ここで縛りが解かれ、
「見ててやっから、自分で扱いて射精してみな。」

もう、限界まで達してて、自分でシコシコ、ビュービュー射精してアへ顔、気付くとそんなオナニー射精をバッチリ撮影されていました。
そんな妻と結婚して5年、35歳ともなると、20代の頃のパワーはありません。
年齢的に何度も射精するのはきつく、3回が限度です。
妻が生理の時は、射精地獄です。
ベッドに仰向けに縛られ、手コキされます。
「射精しろよ。」
と言われ、射精してしまいます。

2度射精すると、3度目はなかなか出なくて、2本の電マでペニスをはさまれます。
「まだ残ってるの、全部出せよ。」
と言いながら振動を与え続けます。
電マでやられると、射精してしまいますが、妻は、
「まだ出るだろ。精液出せよ。」
と言って振動させ続けますが、射精直後に振動を続けられるのは辛く、でも、それを乗り越えると、また勃起して射精します。

ここまで来ると、透明な液体がタラタラ、でも、妻は、何でもいいから液が出るうちはやめてくれません。
最後は、ペニスは勃起してないのに、タラ・・・タラ・・・と透明な液が零れ出るような状態になり、ようやく許してくれます。
生理が終わると、それまでできなかったセックスを求められます。
連日限界まで、一滴残らず射精させられてくたびれたペニスは、イマイチ勃起力が乏しく、
「なんだよ、女房がせっかくやらせてやるのに、もっと起たせろよ。」

そこで、ペニス緊縛をされるのです。
これは、マゾ調教ではなく、勃起力を高めるためです。
ペニスの根元を縛り上げるアイテムがあるのです。
これを使うと、いつも以上の硬さを実現することができます。
その名もコックリング、ハメると硬さギンギン、28歳でもセーラー服コスプレでオマンコを広げる妻も喜びます。

数日過ぎれば、コックリング無しでもギンギンになります。
寝室でセーラー服着て待つ妻を、悦ばせてあげられるのです。
こんな、可愛くもサディスティックな妻を持って、幸せです。
22
2024/03/30 07:12:22 (agz8SumG)
10年以上ずっと好きな人がいて、やっとその人の奴隷になることができました。
セックスだけはしないことを条件に奥様公認です。
昼のお仕事も続けたままなのであまりできないのですが、夜のお仕事も探さはじめました。30手前ですが見つかるといいな。
これから飽きられて捨てられるまで、一生懸命尽くしていけると思うと幸せでいっぱいです。
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射精我慢鍛錬

投稿者: ◆iaFQB9neHQ
削除依頼
2024/03/26 19:51:39 (ez2MrKz8)
私は43才のM男です。

若い頃からMに目覚め、いろいろな女王様とプレイしてきました。

ある日初めて外人の女王様に調教をお願いしました。

HPの写真に顔は出ていませんでしたが、シルバーに近い金髪で外人らしくないスリムな女王様でした。

胸もヒップも小ぶりで肌は透き通るような白さでした。

初めて対面した時はあまりの可愛さに驚きました。

白い肌と金髪、赤いエナメルのボンテージに同じ赤のピンヒールでした。

片言の日本語でパベラと自己紹介してくれました。

事前のアンケート通りに調教してくれましたが、余りの美しさにプレイ途中で2度も射精してしまいました。


美しさの虜になってしまった私は月に2〜3回通いました。

半年程通っても途中で我慢出来ず射精してしまう事が続いたある日、あまりにも我慢が足りないと言われ厳しい責めを受けましたがダメでした。

そして次のプレイの時に、最後まで我慢出来たらご褒美に聖水を直飲みさせてくれると言ってくれました。

私は我慢すればパベラ女王様のオマンコを見れるだけでなく聖水をいただけると思い必死に我慢しました。

そして何とか我慢出来て褒めていただき聖水の時がきました。

パベラ女王様はボンテージの股間のフック?を外し2人でお風呂場へ行きました。

私はタイルに正座して顔を上に向けると、浴槽の渕に片足を上げて私の顔を跨ぐ姿勢になりました。

私の顔のすぐ前には待望のパベラ女王様のオマンコが。

黒ずみなど一切なく花びらの中は薄いピンクでした。

パベラ女王様はキレイな指でオマンコを広げ聖水の準備をしてくれました。

目の前にクリトリス、尿道口、膣が見えた瞬間不覚にも射精してしまい、パベラ女王様の脚に精液がかかってしまいました。

その瞬間パベラ女王様は外国語で何か叫び私をビンタしました。

私はピッタリして頬を押さえると反対の頬をビンタされました。

私はごめんなさいと言い下を向くと、私の顎に指先をかけて上を向かせると今度は往復ビンタされてしまいました。

確かに痛みはありましたが初めての経験に更に興奮してしまい、ペニスは激しく勃起してしまいました。

少し冷静になったパベラ女王様は聖水の中止と、汚した足を舐めて掃除するよう命じてきました。

初めて味わう自分の精液はとても不味かったです。

その日はそこで終了でしたが、じかいからは罰と訓練を兼ねてフィニッシュに耐える調教にすると言われました。

後で持参してくるものをLINEしておくから揃えておくように言われました。

帰り支度が終わると優しい表情になり、また待ってるねとギュッとハグしてくれます。

これもパベラ女王様にハマるところです。

そして翌日の昼間にパベラ女王様からLINEがきました。

余計な言葉は無く、揃えるものだけ書かれていました。

タバスコ、ラー油、カラシ、粉の唐辛子、歯ブラシ、ゴム手袋です。

これだけで何するのか想像出来てしまいました。

どれくらい辛いのか、それより耐えられるのか、などいろいろ考えましたがペニスは正直でした。

考えるだけで激しく勃起してしまいました。

私は仕事帰りに大きなスーパーに寄って全部揃えました。

そしてその週の金曜日にパベラ女王様が出勤してるか確認していつもよりながい180分予約しました。

いよいよ当日。

プレイルームで待っているとその日のパベラ女王様は黒の下着姿でした。

レースのブラとパンティ、ガーターベルトと網ストッキング、ピンヒール。全て黒。

白い肌に映えます。

私はいつものように土下座して挨拶して、持参した物をテーブルに並べました。

そして備え付けの産婦人科台のような台に乗りました。

パベラ女王様はベルトで手足を固定すると、追加で腰が浮かないよう台と腰もきつく固定しました。

パベラ女王様は1本ムチを手にするとペニスを中心に叩き始めました。

痛いですがペニスはカチカチです。

そしてパベラ女王様は私の仮性包茎のペニスを掴むと、あまり気味の皮を限界まで下に引っ張り、ビニールテープを巻いて皮が戻らないように固定しました。

竿の根本から数センチにテープが巻かれ、カリ首から下の敏感な部分が露出したままになりました。

パベラ女王様は良いって言う前に漏らしたらお仕置きじゃ許さないよと言いスタートです。

まず今まで何度もお漏らししたお仕置きから始まりました。

亀頭を中心に蝋燭をたっぷり落とされ、1本ムチで蝋を叩き落とされました。

萎えないねーと笑いながらゴム手袋を付けました。

怖い気持ちと期待が入り混じりさらにペニスが固くなるのを感じました。

最初はチューブのワサビでした。

カリの付け根にぐるっとワサビを出しました。

ワサビの匂いがしてきますが、少しひんやりしたくらいで痛みはありません。

パベラ女王様は指先でワサビをペニスに擦り込んでいきます。

こんなにちゃんとペニスを触ってもらったのは初めてです。

カリ周辺が少しジンジンしてきました。

そしてゴム手袋にワサビをたっぷり出すとそのままペニスを握り、ゆっくり扱き出しました。

痛みは感じず、ヒリヒリがかえって気持ちいいくらいでした。

私が苦しまないのを見てコレは効かないねと言い、パベラ女王様はラー油の容器を手にして、ペニスと手袋にたっぷり垂らしました。

そこでラー油が尿道口に付いたのか尿道口が熱くなってきました。

再びペニスを握ると今度はいきなり激しく扱きだしました。

ちょっと間をおいてペニスの皮膚の弱い部分が猛烈に熱く痛くなり思わず声が出てしまいました。

私は必死に耐えましたがペニスが燃えるようで、熱いのか痛いのかわからなくなり、パベラ様辛すぎますと言うと、まだ始まったばかりねと言われ、さらにラー油を追加で垂らしきつく握り高速で扱かれました。

私はうめきながら耐え、全身汗だくです。

やっと手が止まったかと思ったらパベラ女王様はタバスコの瓶を手にしました。

正直言って恐怖を感じましたが、ワサビとラー油に塗れたペニスは萎える事なく脈うっていました。

パベラ女王様はラー油と同じようにペニスと手にたっぷりタバスコを振り掛けました。

酸っぱいきつい匂いが漂ってきました。

そして今までよりさらに強くペニスを握り扱かれました。

燃えるような熱さと激痛です。

私は許しを請いたいのにパベラ様の名前を何度も叫ぶ事しか出来ませんでした。

もう表現出来ない辛さでした。

すると突然パベラ女王様の手が止まりました。

私は終わりなのか別の何かが始まるのかパベラ様を見ると、パベラ様はパンティを膝辺りまでまで下げました。

そしてパンティに付いていたナプキンを剥がしました。

お前のためにマンコに当てておいたんだよと言いました。

私は最後にご褒美かと一瞬期待しました。

味合わせてくれるのかと思ったからです。

パベラ様はナプキンを私の唇に擦り付け、柔らかいけどザラザラしてるでしょと言いました。

そしてナプキンをペニスに巻き、上の隙間からチューブのワサビを注入し、隙間からラー油とタバスコをたっぷり垂らしました。

そしてナプキンの上からペニスを握ると強引に扱き始めました。

ザラザラしたナプキンでタバスコなどを擦り込まれながらの高速手コキです。

今日一番の激痛です。

燃えるような激しい痛みしか感じないのにペニスは固く勃起したままでした。

パベラ女王様は初めて私の手でフィニッシュさせるんだから私の名前を言いながらフィニッシュしなさいと言いました。

お許しが出た途端にいたみが徐々に快感に変わっていきました。

ペニスの奥がキュンとなった次の瞬間私はパベラ様と叫びながら射精しました。

しかし射精が終わっても手を止めてくれません。

痛みより辛い手コキが続きました。

パベラ様にゆるしを乞いましたが手は止まらず、私に口を開けるよあ言いました。

大きく口を開けるとパベラ女王様は私の口にたっぷり唾液を流してくれました。

口を閉じてすぐに飲み込まずじっくり味わうと再びペニスの奥がキュンとしてきました。

パベラ女王様の唾液を飲み込んでパベラ様と叫びながら2度目の射精をしてしまいました。

やっと手コキが終わり飛び散った精液とドロドロになったワサビを軽く拭いて拘束を解いてくれました。

私はすぐには動けませんでしたがパベラ女王様にとても幸せだったとお礼を言いました。

台から降りるのを手助けしてくれてそのままシャワー室へ行きました。

パベラ女王様は熱を持ってるから冷たいシャワーにするねと言い、ペニスを優しく流してから丁寧に洗ってくれました。

部屋に戻るとアイスコーヒーを出してくれました。

ペニスをじっくり見ると真っ赤になって少し腫れていました。

触ってもあまり感覚がありません。

そこからは時間まで優しくなったパベラ様と話して過ごしました。

腫れてズキズキするペニスは2〜3日で元通りになりました。

それ以降は毎回はきついのでたまにタバスコなどを使ったペニス責めをお願いしています。

冷静な時はペニスに良くないと思いますが、ムラムラしてくるともっと刺激が強いものでお仕置きして欲しいと思ってしまいます。

パベラ女王様大好きです。




24
2024/03/26 12:18:20 (SXD8hPb0)
昭和20年代前半の話。
怖いものが三つあった時代。親、先生、警察官がそれである。
白も黒もなく、親の言いつけには逆らえない。先生の言う事は絶対。
警察官をみると身体が震える時代でした。何も悪い事はしていなくても怖い存在であった。
悪戯をすると親からのお仕置きが日常茶飯事の時代。
よく庭の木に縛り付けられたものだ。折檻を加えて来る者はなにかと母親が多かった。
学校でも折檻は当たり前のように行われていた。そんな学校内での出来事である。
小学二年生だったある日の事。悪ガキだった私は教室の窓ガラスを割ってしまい説教をされていた。
担任の女の先生であった。子供の目には三十から四十歳位であっただろうか。怖い女教師であった。
素直に謝らない私の態度に業を煮やした先生の怒りを買って宿直室で折檻を受けたのでした。
手足を縛られての折檻でした。部屋の中に有った紐を探し出して繋ぎ止めた物で縛られたのでした。
子供心に紐の締め付ける強さに怖さを感じていました。忘れもしません、背中に回された両腕をひとつに括られたのでした。
小学二年生の私には強烈過ぎる経験でした。家で受ける折檻とは異なるものでした。
母親からの縛られ方は、手を前で縛るものでしたから、初めて後ろ手に縛られた事の緊張感と違和感に固まってしまった私でした。
怖さもありましたが、何故か恥ずかしさというものもあったことも記憶に残っています。
その日を境に、特に悪いこともしていないのに度々先生に呼び出されては、宿直室で縛られる日が続きました。
ある日の体育授業の時間の事でした。その日も宿直室で縛られて転がされていた私でした。
先生は体育服に着替える為に、私の目の前で着ていた服を脱いだのでした。スカートの中から現れた白い肌、大きなお尻が印象的でした。
それよりも、そのお尻を包み込んでいた光沢を放つ黒色の下着は、子私の私の目には妖しく映ったものでした。
我家の物干場に見る母親の下着は、決まって白い布の物でしたから。
その後、先生は転任して学校を離れて行きました。私が五年生になった春の事でした。
○○ちゃん、元気でね。と言って、私の目の前でスカートの内に手を入れて、穿いていた下着を脚から抜き取ったのでした。
はいこれ、先生だと思って大事にしてくれるかなー、と手渡されたのでした。宿直室で別れの時でした。
ランドセルに収めて家に持ち帰った私でした。その後うっかり取り出すことを忘れてしまっていた私なのでした。。
ランドセルの中の下着を母親が見つかってしまい、強く問い質されました。私は正直に答えたのでした。
母親は、他には何も無かったのかと執拗に迫ってきたので、宿直室で有った事の全てを話して聞かせたのでした。
母親は何も言わずに、深い溜め息と共に宙を見つめているだけでした。それっきりその事には触れて来ませんでした。
母親が何を思い、何を感じていたのかは私には分かりません。
そんな遠い遠い過去の出来事でした。現代では考えられない、そんな時代でした。
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