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2018/03/05 12:11:00 (FW.RgMi1)
今から20年前の話。俺は小学校5年だった。5年になってからのクラス替えで、俺はあのめんどくさい、荒木唯から解放されて、「やっと今日から放課後に遊べるぞー!!!」と喜んでいた。

その頃、俺は3年から4年の2年間、ただ家が近いから。という理由で強制的に生まれつき足の不自由な、「荒木さんの車いす係」に任命され、俺は放課後に友達とサッカーやドッジボールも出来ず、俺はいつもブツブツ文句を言いながら荒木を家まで送っていたのだった。

いつも荒木は「ごめんね、ありがとう」と俺に言っていたが、俺は荒木の問いかけをすべて無視し、「行くぞ」と「着いたぞ」の2言しか言った記憶がない。

たまに荒木の親が、俺の家に「いつものお礼」ということでお菓子などを持ってきてくれることもあったが、俺はそんなお菓子なんかよりも、ただ放課後に友達と一緒に遊びたかった。俺の小学校3年、4年はそんな感じだった。

そしてクラス替えによって、荒木から解放された俺は、小学校5年、6年という2年間、俺は自由に放課後に遊べる身分となったのだが、6年生の夏休みが始まる前、俺はこの先の人生に大きな影響を与える出来事と直面してしまう。

それは夏休みが始まる最後の授業の日、みんなが帰りの準備をしているときに、隣のクラス(荒木が居るクラス)の女子から、「ねぇねぇ、酒井君。荒木さんが、今日一緒に帰りたいって」と言ってきたのである。

俺は「は?ふざけんな。きもいんじゃ。お前(隣のクラスの車椅子係)が行きたくないから俺に擦り付けようとしてるんだろ」と、そんなセリフを荒木がいる目の前でその女子に言い、俺はすぐその場から立ち去り、明日から夏休み。ということでテンションが上がっている男友達の輪の中に入っていったのだった。

それから長い夏休みはあっという間に終わっていった。

夏休みが明けた時、俺は夏休み明けの最初の登校日、朝の朝礼の時に先生がいったことはこうだった。

「お前ら知ってるな。隣のクラスの事だけど、荒木がお父さんの仕事の都合で、東京へと引っ越した。隣のクラスでは定期的に手紙を書くそうだが、お前らもクラス替えの前とかは荒木と一緒だったので荒木に手紙を書きたいっていう人は、B組の島田のとこに行ってくれ」

と言ってきたのだ。

俺は(え。。。あの時、最後でもう会えないから、俺と一緒に帰りたかったのか・・・なんで?俺と・・?)と思った。俺はそのあと、隣のクラスの島田(元荒木の車椅子係)に、「なぁ・・・」と声をかけると、「話しかけないでよ。最低男」と冷たく突き放されたのである。

聞くところによれば、荒木は常日頃、島田を始めとする一部の中のいい女子に、小学校3年から4年間は、とても安心して家に帰れた。とか、酒井君がいてくれるから悪い男子にいじめられないで済んだ等、そんな俺への感謝の気持ちを語っていたらしい。

そして夏休みが終わったら転校してしまう。という最後の日に、俺に今までの感謝の気持ちを書いた手紙と、ささやかなプレゼントを用意していたとのことだった。

それは島田とは別の女子が預かっていたらしく、俺は数日経って、その現物を手にすることになるのだが、それは俺が当時ハマっていたアニメキャラクターの、筆箱、ペン、下敷き、消しゴム、等の文具用品だった。

そして手紙にはこう書いてあった。

「酒井君。私、夏休みが終わったら東京へ引っ越しするんだ。もう会えなくなっちゃうね。でも、3年生から4年生までの2年間、いつも一緒に帰ることができて、私はとても楽しかったです。あの時の事、覚えている?一緒に車いすでダッシュして笑いながら帰っていた時、いきなり車いすのブレーキが壊れて、車輪が1個動かなくなった時、あの時酒井君は自分の家に自転車を取りに帰ってくれて、私を後ろに乗せて帰ってくれたでしょ。そして車いすもあとでちゃんと取りに行ってくれた
よね。でも荒木君はあの後、私の車椅子でダッシュして壊したっていうことで、(私の)お父さんと先生にも怒られたけど、私には怒られたこと何も言わなかったよね。。あの時の事は私の中でのかけがえのない大切な思い出です。ほんとうにありがとう。夏休みが終わったら私は東京に行ってます。私も頑張るから、酒井君も頑張ってください。」

俺はあれほど、自己嫌悪したことはなかった。涙も出てこなかった。正直、小学校6年の俺の未成熟な精神では、この出来事をどう処理していいかわからなかった。携帯もメールアドレスもない世界の事である。今更何をどうしていいのかもわからなかった。

そして俺は、荒木の事は思い出そうとせず、キャラクターの筆記用具は弟に上げ、、そして手紙は学習机に放置し、気が付けば行方が分からなくなっていた(実は母親が保管していた)

それから俺は中学へと進学し、覚えたのは因数分解ではなく、窃盗。原付を直結する方法、ハサミを使って強制ロック解除する方法。それから他校との喧嘩。そして工場へとシンナーを盗みに入り、逮捕。そして鑑別所。

高校は定時制高校へ進学したが、俺の怠慢な性根で1年目で中退。家庭環境も悪くなってきて、両親は別居。特に母親と仲が悪かった俺は、現場仕事などを寮生活をしながら転々とし、そして最終的には持ち前のプライドの高さから、「俺には現場よりも夜の仕事のほうが向いている」などと思い込み、キャバクラのボーイとして末端の社員として働く。そんな転落人生が待っていた。

そして24歳になった時、(今から6年前)俺は(当時、別居したオヤジが東京で仕事をしていた)実家からとにかく出ようと、オヤジのところに流れ込み、そして東京でも生まれ持っての関西弁を使って「関西弁ホスト」という名目で自分を売り出し、歌舞伎町のさびれた店で、ここでも末端のホストをやっていた。

そしてある日、衝撃的な再会に巡り合ってしまうのだった。

その日、俺は客だった厚化粧のケバい女と朝の新宿でナイト明けで眠たそうにコーヒーを飲んでいた時の話である。調子にのってビルの1階にあるガラス張りのコーヒー専門店で、女と店の愚痴などを言いながらサンドイッチとコーヒーを飲んでいたら、ガラス張りから見える店の前の道路に、20組(車いすと、それを押す人)くらいはいる大量の車椅子集団が俺の視界を横切ろうと遠くから接近してきたのだった。

見た感じ、車いすのなんらかのグループの東京見学っていう感じか、そんな風に見えた。俺は女に「なんかゾロゾロきたぞw」というと、女は「なになに?足の不自由な人の旅行?なにあれ」てな感じで言っていた。

そしてその団体が遠くから店の前に近づいてきたとき、その20組はいる車いす集団の先頭に、自動車いすで自分で運転する、俺と同じ年くらいの、きれいな黒髪で、顔だちの整った美人が、

「今から都庁を見に行きます~!みなさん、邪魔にならないよう、歩道の右側を通ってくださいねー!」と、その車いす集団を指揮(観光案内?)しているのだった。

そして俺は見逃さなかった。その車いすの側面には、名前が書いたステッカーが入っていたのだが、そのステッカーに、「荒木唯」と書いてあるのを!

俺はガバっと!!!席を立ちあがり、思わず店の外に出た。20組の車椅子集団はもう俺の目の前は通り過ぎており、俺からは歩いていく背中しか見えなかった。

ただ、その車いす集団は旗を持っていて、その旗に「自助グループ 〇〇育英会」(仮名)と書いてあるのを見逃さなかった。

(え、、もしかして。。。あの荒木か・・・? まさかな・・・・)と俺は驚愕した。背後で女が、「何急に出て行ってからさー。コーヒー代おごらせようって魂胆だろ。結局はらちゃったけど・・」と背後で何か言っていた。俺は「うるさい」と言って、俺は複雑な、、そんな小学校6年のあの時に似た感覚を持ちながら、俺は一人暮らしの家へと帰っていった。

そして俺はネットで「自助グループ 〇〇育英会」を検索している俺がいたのだった。

つづく



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投稿者:通りすがり
2018/03/05 12:38:59    (BuW/FLy9)
続き期待しています。
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投稿者:(無名)
2018/03/05 13:19:37    (RpUo.ucT)
小学生の頃の話、うるっときてしまいました。
是非続きお願いします。
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投稿者:酒井君 ◆2LEFd5iAoc
2018/03/05 13:43:56    (FW.RgMi1)
検索ではすぐにヒットした。その自助グループは、その名の通り、車椅子や体の不自由な人たちが、自立した生活ができるように生活サポートをしている団体だった。

その中の活動実績のコーナーの写真では、あの荒木らしき人物が多くの写真に写っており、おそらくこの団体のスタッフか、あるいは主要メンバーであることは容易に想像ができた。

またその施設のある場所は豊島区。俺の住む家とさほど距離が離れているというわけではない。

そんな検索をしながら、(何やってんだ俺。仮にあれが数年前に小学校で一緒だった荒木だとして、今更何になるんだよ・・w)とそのHPを閉じたのだった。

しかし、俺の潜在意識に入り込んだ、荒木との再会。それは俺のホストでの仕事にも大きな影響を与えていた。(おそらく)荒木であろう人物の、あの颯爽とした爽やかなイメージと、あの団体の中でのはつらつとした笑顔を見てみると、それに比べて、俺の環境は、タバコ臭てうるさい音楽にドンちゃん騒ぎ、ワインやシャンパンの一気飲み、アホの集団がアホな事をやっているのである。

少し前まで俺もそのアホ集団の一員だったのだが、俺はどんな心境の変化があったのか、そんなアホな仕事をアホらしく思えてきて、仕事もやる気がなくなっていってた。(またいつもの怠慢クセが出てきたか)と思っていたが、その時はなにかいつもとは違う感じがあった。

気が付けば毎日、その自助グループのHPを見ている俺がいて、数日後、あの東京都庁見学の活動も写真アップされていたのだった。

俺は冷静に考えた。仮に今、あの自助グループの施設を訪問し、「荒木さん。という方は在籍していますか?以前に町で見かけて、もしかしたら彼女、僕の小学校の同級生かもしれないのです」ということが、そんなにおかしいことかどうか考えた。

それにHPにも「見学はお問合せください。」みたいな部分もあるし、外部との接触を拒んている組織には見えない。

数日は何のアクションも起こせないでいた。

そんな俺はある土曜の朝の9時頃、突然目が覚めて、朝だから夜と意識が変わっていたのか、まるで何かに導かれるように、、(よし。。。行くぞ)と決意している俺がいた。

そして俺は持っている中でも地味なスーツを着用し、髪の毛もホスト風というよりかは、少し長いだけで若者風という感じに仕上げ、無駄にチャラチャラしたブレスレットや指輪などは一切つけず、今風だけど、質素な若者を演じて、俺はその豊島区の自助グループ施設へと足を運んだのだった。

事前になんの連絡もないアポなし訪問。果たしてこの物騒な事件もよくあるご時世で、俺は不審者に思われないだろうか。そんな事を考えながら俺は夏の照りさかる太陽の下を歩いていた。

そしてHPの地図を携帯でみながら、その自助グループに近づいてきたとき、どうやらそのグループは思っていたよりも大きいグループであったようで、施設には運動場がついていた。

正面玄関にはインターフォンがあったが、それを鳴らして、誰かが出た段階で、「荒木さんっていますか?」というべきなのかも迷った。かといって大声で「すみませーん」と、インターフォンがあるのにも関わらず、大声で呼ぶのもどうかと思った。

そんな感じで躊躇していたら、その自助グループのスタッフらしき、エメラルドグリーンのポロシャツを着た40代くらいのオバチャンが、怪訝そうに、「何かご用ですか?」と俺に聞いてきた。

俺は「あ、こんにちは。あの、荒木さんに面会に来たのですが・・」と、そんな言葉がふと出てしまった。オバチャンは、「荒木、、、女性の?」と俺に聞いてくるので(男の荒木もいるのかな?)と思いながらも、「はい、そうです。」と答えた。

オバチャンは「ちょっと待ってね」と中へと消えていき、俺の心臓の鼓動はピークに達しつつあった。

そして一度消えたオバチャンは、また出てきて「あの、どちらさん?名前は?」と遠くから俺に聞こえるような大きな声で聞いてきた。それに俺は「酒井と申します。」と、そのオバチャンに聞こえるように俺も大声で返事したのだった。するとオバチャンはまた施設の中に消えていった。

そしたらオバチャンはまた出てきて、「今、荒木さん買い物行っててもうすぐ帰ってくるって。中のロビーで待ってて」と案内され、俺はそのロビーのソファーへと座った。

ロビーでは、その自助グループの利用者が作った工作物や、絵画、そんなものが陳列してあった。

待つこと15分、かなり長く感じた。すると奥の職員が使うエリアの通路のほうから「唯ちゃーん、お客さんきてはるよー」と、あのオバチャンの声が館内を響き渡り、「はーい」という返事も聞こえてきた。

俺は(そろそろか・・・・)と、落ち着きかけていた緊張が、またよみがえってくるのを感じた。

そして自動車いすで接近してきた荒木は、ソファーに座る俺を見て、「こんにちは、酒井さん??ですか?」と聞いてきた。荒木はまだ俺の事を思い出せないでいるらしい。
たしかに荒木もそうだが、俺にもあの小学校の時の面影はない。

こうしてみると、確かに荒木は荒木だが、あの頃と比べ、髪は長くて美しく、鼻筋もとおって美しく、、化粧をしていないにも関わらず、俺が夜の業界で見てきたどんな女よりも、はるかに美しい人だった。

どれだけ流行のファッションに身を固め、世間でいう「カワイイ」というメイクで塗り固めた女より、ただ素朴、純粋、そんな澄んだ目を持っている荒木のほうが美しかった。

思わず俺は言った「ごめんね。あの時。。一緒に帰れなくて・・・」

この言葉、まるで神から導かれるような言葉だった。変に、「あの、酒井です。えーと、小学校の時、、〇〇小にいませんでした?」とか、そんな回りくどい事を聞くのではなく、ある意味ストレートだった。

2人は沈黙した。荒木はただ目をぱちくりさせていた。

すると荒木は何を思い出したのか、突然、大量の涙を流し始め、「酒井くん・・?本当にあの時の酒井君なの・・???」と目に指で出てくる涙をふきながら、そう答えてきた。


俺は「うん・・。あの時の酒井だよ」と答えた。

それから5分10分くらい、荒木は泣き続け、心配してきたスタッフが荒木に近寄ると、荒木はそれに「大丈夫。すごい懐かしい人が訪ねてきてくれて・・・!」と嗚咽を交えながらその近寄ってきたスタッフにこたえていた。

そして落ち着いた時、そのロビーで俺たちは身の上を話し合った。でも荒木は、どうやらこの施設の職員らしく、今は仕事中との事だった。

俺は積る話もあたったが、突然の訪問で、彼女の仕事をとめてしまうのも申し訳ないと思い、俺は「また改めて出直してくるよ^-^」といい、そして連絡先を交換し、とりあえずその日は別れたのだった。

その夜も仕事があった。シャンパンを飲んだ、カラオケを歌い、踊りたくった。しかし、(何やってんだ俺)という、そんな自分を否定する気持ちだけが強く残っていた。

そして仕事が終わって携帯を見ると、荒木からのメッセージが入っていた。いきなり訪問してびっくりした、あえてうれしい、などなど、そんな言葉が書き記されていた。

自分が置かれている環境と、この再会のこのギャップ、頭がどうにかなりそうだった。

ただ漠然と、俺は(この出会いは、俺が生まれ変わるチャンスなのかもしれない)と思い始めていた。

そして俺は、荒木にメッセージで、「仕事が休みなのは何曜日?よかったら、会って話さない?^-^」とメッセージを送った。荒木は「うん。日曜日が休みだから、その日にする?」と返事があり、その週末の日曜日俺と荒木はJR大塚駅で待ち合わせ、それからメトロ大塚駅まで歩き、九段下などの靖国神社へデートに行くことになったのだった。

つづく。
5
投稿者:ジュン   j902450k
2018/03/05 16:37:47    (TyN5M1oO)
すごくいい話ですね、続き楽しみに待ってますよ。
6
投稿者:おっさん
2018/03/05 19:48:37    (07E5DZRq)
こんなサイトだからエロい展開もあるんだろうけど、なんか いい話だなぁ…
主さんも不器用な人なのかもしれないけど、気持ちは伝わってくる文章だと思う。
ぜひ 最後まで聞かせてくださいね。
7
投稿者:やす
2018/03/05 19:49:32    (ksDHTh82)
是非、続きを!
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投稿者:酒井君 ◆2LEFd5iAoc
2018/03/05 22:56:05    (IhjvNpn3)
デートの約束をした日、その日の夜に俺は実家に電話をかけ、いきなり電話に出た母親をまくしたてた。

俺「なぁ、あの屋根裏収納スペースに置いてた弘明(弟)が小学校の時に使ってたドラゴンボール筆箱あっただろ!!???」
母「いきなりなんやのよ!そんなん知らんわ」
俺「とにかく屋根裏行ってくれ。そしたらなんかブルーかなんかの箱があるわ。その中に筆箱はいってるから見て!早く!」という具合だった。

母は「ちょっと待って、もー!テレビ見てゆっくりしてたのにー!」と電話を切ってきたのだった。

それから数分後、「なに?これのこと?」と屋根裏のガラクタ置き場においてあったドラゴンボール筆箱を見つけたらしく、色や形状が、あの時のものと同じだったので、俺はそれで間違いないと確信し、「とにかくそれ、すぐ送ってくれ!!!」と住所を伝えた。

母親は「こんなの何に使うんよ?」と聞いてきたので、俺は「んとー、あれだ、ほらドラゴンボールマニアがいてだな、そいつが言うのはあの時代の文房具にプレミアがどうこういってたので、その可能性が高いんだよ!」とごまかした。

そして数日後、そのドラゴンボール筆箱が到着し、外観を見ると、やっぱりあの時の筆箱だった。そして筆箱の中を見ると、中にはドラゴンボール以外の鉛筆やシャーペンなども混ざっていたが、ドラゴンボール鉛筆とドラゴンボール定規も中に入っていた。

(やった・・・・!!!!!) 

今までホストクラブに通う女から、少しくらいは高級な時計とかもらったことがあったが、汚くなったボロボロのドラゴンボール筆箱ほど、うれしいプレゼントはなかった。俺はこの筆箱で当日、驚かしてやろう。と思い、俺はカバンの中にそれを格納し、日曜日をまったのだった。

日曜日、JR大塚駅。俺は改札口で荒木が来るのを待っていた。すると荒木は駅からではなく、北口のほうから現れてきたので、まず最初の会話は、「あれ、大塚に住んでるの?」だった。

そして荒木は「うん。10分くらい歩くけどね」と答えた。俺は「じゃ、どこいく?」と聞いたが、「うーん・・・」と二人ともなってしまい、俺は前まえから行きたかった靖国神社へ行ってみようと思い、荒木に「靖国でいい?wなんかマニアックだけどww」ときいてみたのだった。荒木は「うんw どこでもいいよw」と答えたのだった。

すると荒木は、手元のレバーを前に倒すと、車椅子が前に進み、俺は「あ、、俺、押すわw 久しぶりに押させてw」と聞いてみた。すると荒木は、「バッテリー積んでるから重いよ^^」というのだった。俺は「大丈夫w」といって車椅子の取ってをつかみ、大塚駅北口から、メトロ大塚駅まで歩いて車椅子を押すことになったのだった。

(懐かしい・・・。こうしてあの時も、荒木の頭のてっぺんのうずまきをみて歩いていたな。。。)なんて思いだしていた。そして日本は、意外といい国なんだな。とも思った。

いろんなとこに身障者用のスロープがあったり、バリアフリーで段差がなかったり。駅にはちゃんとエレベーターが設置してあって、電車がきたら、電車とホームの橋渡しをするための板を設置してくれたり。夜の世界にいたら、絶対に見えることのない世界が見えていた。

そして靖国神社まで移動する間、俺と荒木は懐かしい話をしたり、転校してからどんな生活をしていたかとか、同級生の〇〇覚えてる?とか、そんな身の回りの話をしていた。

俺は自分が中卒であり、仕事が水商売で、しかも底辺のホストであるなんて言えなかった。もともとサービス業に興味があって、今はバーで働いてる。とだけ言っておいた。

だが、小学校の時と、今俺が押している荒木はまるで別人だった。こうして背後から車椅子を押しているだけで、いろんな人とすれ違ったが、きっとこの荒木の美貌と、その車いす。というギャップに驚くのだろう。みな、二度見してくるのを感じた。(荒木はこの時、ちゃんとメイクしてきていた)

そして当時は夏の暑い日だったので、日本全国の女性が薄着になる時期でもあるのだが、車椅子に乗る荒木もその例外ではなく、俺は上から見下ろす荒木のブラウスから、ピンク色のブラとふくらんだ胸の谷間が少し見えて、(こいつも大人になったんだな・・・)と感慨にふけっていた。

そして靖国神社を見学し、そして遊就館に入ろうとしたとき、俺はカルチャーショックを受けることになる。

遊就館の入り口にあるゼロ戦の実物を見て、(なんか燃えてきたぞww)とミリタリー好きの血をたぎらせていたところ、荒木が「お手洗いいっていいかな・・・」と言ってきたのである。

俺は「うん、先トイレ行こうか」と荒木を押して、トイレの前まで来たのだが。。。

俺「え、、とここで待ってたらいいの?」と聞いた。すると荒木は「あっちに身障者トイレがあるから、そっち行こうか」と言ってきたのだ。(あ、、そうか。。車椅子だったんだ・・)と改めて思い直した。

そして身障者用トイレの前まで来て、「一人で大丈夫?」と聞いたところ、「せっかくだし、甘えちゃおうかなw トイレのすぐそばまで連れて行ってw」と言ってくるのである。

俺は身障者用トイレのドアを開け、中にはもうご存知の通り、おむつ替えシート、洗面台、洋式トイレがその中には入っており、俺は洋式トイレのキリキリ近くまで車いすを横付けしてあげたのだった。

俺「ここでいい?」  荒木「あと、体を支えに貸してもらってもいいかな・・?」という会話をした。

俺はてっきり、車椅子を動かないようにストッパーをかけて、「ヨイショ」って具合に自力で車いすから、トイレに移動するものだとばかり思っていたが、どうやらそれは出来ないようだった。

聞くところによれば、身障者用トイレといっても、荒木が言うのは、「このタイプのトイレは一人で移動できないの。だって一番つけてほしい部分に手すりパイプがないからね。例えばもし、ここにパイプがあれば、それを掴んでヨイショってできるのだけど、ないでしょ?」と言っていた。

(ぜんぜん知らなかった。身障者用トイレなんて全部同じだと思っていた。)

俺はそれから荒木の正面に立つと、荒木が俺の脇から背中に向けて手を通し、俺の背中でがっつり俺をつかんできたので、俺も同じように、俺をつかむ荒木の脇の下に手をまわし、まるで抱きかかえるようにして車椅子からトイレへと移動させたのだった。

荒木の両胸が、軽く俺の胸に触れた瞬間だった。荒木は「ごめんね、ありがとw」と言っていた。

(どこかで聞いたことがあるセリフ・・・。そうだ。。。小学校の時、いつも荒木の家に到着したとき、荒木はそう言ってたな・・・。)なんて思い出し、俺は胸がキュンとなっていた。

・・・。「もう大丈夫ww 出て行ってもいいよww^^;」と荒木は苦笑いするのだった(笑)

俺「お、、おうww じゃ外にいるから、終わったら呼んでね」と俺はトイレの外に出て行った。

そして(フー・・・・いろいろ大変なんだなぁ・・・)と、閉めたドアを背にして腕を組みながら、いい意味でのため息をついていると、その10秒後か15秒後に、「ちょっと、、酒井くん!! ドア!!!!ドア!!」と背後から呼びかけられたのである。

というのもドアが半開きになっていたのだった。それもそのはず。入るときはドアのカギをできても、俺が外に出た以上、ドアのカギは空いたままとなる。

この身障者用トイレのドアがクソ重たく出来ているのと、この建物が傾いているのかは知らないが、あるいは俺が勢いよく閉めすぎたのか、ドアが背後で徐々に開いていってたのだった。

俺は「おおお!!!うう」と変な声をあげてしまい、思わず中の荒木と目があったのだが、中の荒木は「しめてwwww」と必死に手でドアをしめるようなジェスチャーをしていた。

俺は「ご、、ごめwww」とすぐにドアを閉め、今度は勝手に開かないように手で押さえていたら、「もういいよw」と中から声がするのだった。ちょっとしたハプニングだった。

そしてもう一度、トイレの中に入ると、「ごめんww ドアがまさか勝手に開いていくとは・・><」というと、荒木は「もーww 誰かいなくてよかったww しっかりしてよねw」と言ってきた。

そして俺たちは全面バリアフリー、館内身障者スロープあり、エレベーターありの至れり尽くせりの遊就館で特攻隊の手紙とか、いろんな遺品をみながら、俺はミリタリー好きでそれに興奮し、荒木は涙を流していた。

そして遊就館を出て、近くのレストランで昼食を取った。しかし、その後の事を考えていなかった。夏の暑い日の事だった。目的もなく歩き続けるというのは、日射病とかの事を考えると出来そうにもないくらい太陽が照っていた。

朝の11時に待ち合わせをし、今はもう17時になっていた。(普通のカップルとかなら、この後飲みに行ったりするんだろうな。。。)と頭をよぎり、俺は荒木に「あのさ、お酒とか飲むの?」と聞いてみた。

すると荒木は「飲まないかな。。。お酒を飲むことができる環境じゃないからなー」というので、「飲めないの?それとも、飲む機会がないだけ?」と改めて聞くと、荒木は「飲めるのは飲めるよ。お正月とか家族で飲むことあるけど、でも車椅子対応の飲み屋さんとか、そういうのはないでしょ?」と言ってきた。

確かにそうだ。どこの飲み屋にバリアフリーで、身障者トイレがある店がある。言われてみればそうだった。

逆に「酒井君は飲みたい気分?」と質問されたので、「うんw そんな気はあったけど、無理させても仕方ないから、、大丈夫だよw」と俺は答えた。

荒木は「じゃ、カラオケいかない?あそこならエレベーターもあるし、段もそんなにないと思うからw」と言ってくるのだった。

俺は「おけw じゃカラオケいきますかww」とその場のノリと流れでカラオケに行くことになったのだが、このカラオケがどうこう。っていうのではなく、酒を飲んでしまった。というところで、この後の展開が大きく変わってくる出来事になってしまうのだった。

きっと、荒木も「やっぱ飲むのはやめよう」って言えば、俺を残念がらせると思って、無理をして付き合ってくれたんだと思う。またいいように言えば、ここでバイバイじゃなくて、まだ時間を一緒に過ごせる。という喜びもあったのかもしれない。

普段、酒を飲みなれていない子が酒を飲む。しかも身障者で一人で満足にトイレもいけないという子が。俺たち2人は、この後の展開が思いもよらない方向へと進んでいくのだった。

つづく。
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投稿者:酒井君 ◆2LEFd5iAoc
2018/03/06 00:56:52    (m/2f9VYM)
カラオケに行き、そしてエレベーターに乗り、2階で受け付けを済ませ、案内されたのは「車いすのお客様が1名ですね?では2階の段差がないところをご案内します」と、ここでも車いす対応がされているのかと感心した。日本はほんといい国である。

そして俺たちはカラオケの一室の中に入り、スピードメニューを見ながら、ビール、カクテル、フライドポテト、小エビのから揚げという定番メニューを注文し、それを飲みながらワイワイとしゃべったり、歌ったりをしていた。

生来、足が不自由で車いす生活の荒木からすれば、運動ができない分、カラオケというのは昔っから大好きな趣味であり、歌も信じられないくらい上手で、(真剣に歌手になれるんじゃ・・・)というくらい歌が上手だった。

そしてやっぱり、酒を飲んだらトイレが近くなるのは当然の事であり、荒木がトイレに行きたい時は、俺もトイレに付き添っていき、「ヨイショ」と手慣れた感じで荒木を座らせると、俺は外で待つ。という感じになっていた。

そしてカラオケ店で歌うこと3時間、飲んだ量は、俺はひたすらビール、荒木はカクテルという具合に、そこそこ酔ってきて目の前がフラフラし始めたとき、カラオケ店からの「延長しますか?10分前です」という室内電話が鳴ったのだった。

俺たちは「どうする?」と顔を合わせたが、けっこう飲んで歌ったというのもあったので、「延長はいいです。」とカウンターに伝え、俺と荒木は支払い伝票を持って会計を済ませて店を出たのだった。

もう夜になっていた。

俺と荒木は都電荒川線の路面電車の線路にそった道を、夏の夜風にあたりながら、俺は荒木を家に送るのに車椅子を押していた。

すると、途中にいい感じの広い公園があったので、少ししゃべって帰ろうと、俺たちは公園の中に入った。そして俺はその公園で酔っ払っていたということもあり、少年の気分に戻って、地面から吹き出す噴水と戯れていたのだった。

そしてふと、車椅子の荒木を見ると、荒木はなぜか悲しそうに下を向いているのだった。俺は(足の不自由な子の前で、噴水の水を蹴ったり、飛んだり跳ねたりしたのがマズかったのかな。。。)と思った。

俺「どうしたの?気分悪くなってきちゃった?」と聞いた。すると荒木は「うんうん・・・(違うの意)」とだけ答えたのだった。

そして俺は異変に気が付いた。車いすの車輪の足元に、、、ポタポタと荒木が座るシートを透き通って水がしたたり落ちているのである。

俺は(あ、、、やっちゃったか・・・)と思った。荒木はすると俺に気が付かれた事を察知し、すすりなき始めた。俺は「気にしなくていいよ!」と励ましたが、荒木はグスグスと泣き続けるのである。

そしてやっと口を開いたかと思うと、「今日、1日で、なんかいトイレ付き添ってもらった?もう情けなくて!!!」と、本音をぶつけてきたのだった。(荒木なりに酔ってるじゃんw)と水商売慣れしている俺はそう思ったが、荒木は荒木なりに、俺に何度もトイレに連れて行ってもらうのが恥ずかしくて、あと少しで家だと思って我慢してたけど、我慢できなかった。という感じなのである。

俺は腹を割って話した。

俺「あのな、俺、、さっきはバーで働いてるって言ったけど、本当は水商売で生きてるんだ。ホストクラブっていうとこ。そこには、いろんな女の子の客がいてね。シャンパン一気飲みしてぶっ倒れる子。店の中でゲロをはく子。あるいはトイレ間に合わずに、漏らしちゃう子。いろいろ毎日のように見てる。そんな仕事をしているのを、隠してバーで働いていると嘘をついている自分が、俺は一番情けない奴だって思ってる。でも、荒木さんは違うでしょ?ただ、本当に心がきれいだから、俺に申し訳ないって思って、、、こうなっちゃっただけで、人間として恥ずかしくもなんでもないんだよ?情けないことじゃないんだよ?情けないのは俺のほうだよ。。」と言った。

すると荒木は涙目の顔をあげて、「うん・・・ありがと・・」と言って、まだ鼻をグスグスさせていた。

俺は(そうだ!いまだ!)と思い、「これ覚えてる??」と自分のカバンをまさぐり、、出したのはあのドラゴンボール筆箱だった。

荒木は「え・・?」といった後、「わあ・・・ これ!!!! 私が買ったやつだ・・・・ずっと持ってくれてたの!??」とボロボロになった筆箱を手に持っていた。

俺は間違っても、弟の弘明に上げた。とか言えず、、「うんw」とだけ答えた(笑)

すると、、「うれしい・・・・!!!」と言って、また号泣しだすのであった。俺も涙がちょちょびれた。

そして5分くらい、しんみりしたムードで心から温まる静かな優しさに満たされる二人だった。

そして少し落ち着いたところで、、「コンビニでタオルか何か買って、、足元ふこうか・・このままじゃ気持ちわるいよね」と言って、俺たちはまた車椅子を押してコンビニへと向かっていった。

そしてコンビニの前で荒木を待たせ、俺は中でハンドタオルを3枚セット入りを買うと、ラッキーなことにコンビニの隣に、デザインこそオバサンが買うような衣服が売ってあるリサイクルショップを発見し、外に陳列してあった「訳アリ大特価 全品1500円」と書かれている、けして若者が履きそうにないデザインのおばさんスカートを1枚買い、そしてまた公園に戻って今度は身障者トイレに二人で入っていった。

でも荒木をトイレに入れて俺は外に出る。その時は、それだけが俺の役目ではなかった。なぜその役目ではなかったのか。それはムードがそうさせていたとしか言いようがない。

俺は荒木と一緒に身障者トイレに入り、中からカギを閉めた。もうその時は、恥ずかしいとかエロイとかなかった。俺はトイレの中で、タオルの袋をあけて準備をし、まずは荒木を抱きしめて抱え上げた。そして1枚のタオルは2つ折りにして、濡れた座席のシート替わりにするために、シートの上に設置した。

そして抱きかかえた荒木を、トイレの上ではなく、オムツ替えシートの上に座らせ、おもったりょりも湿っているスカートはもう使い物にはならないな。と判断し、俺は荒木に「脱がすよ?いい?」といった。

よく考えたら、着替えくらい一人で出来ると思うのだけど、その時のムードは違った。もう暗黙の了解で、俺はお前の面倒を最後まで見る。そして、私はあなたに何も隠さない。みたいな、かっこよく言えばそんな感じなんだけど、そんなムードが流れていた。

荒木は「うん」といったので、俺は荒木の腰のスカートのゴムに手をかけ、、ズル・・・と手前に引っ張っていった。そして右、左と荒木はお尻を少しあげると、それに合わせてスカートも、右、左とゴムが荒木のお尻の下を通り過ぎて行った。

そしてふとももくらいまで下ろしたスカートを、そのまま後は一気に足首まで通して脱がし切り、俺はその脱がしたスカートを、リサイクルショップで買ったスカートが入っていた袋の中に畳んで入れた。

そしてコンビニで買ったタオルの2枚目を、水で少し濡らして湿らせて、、俺は荒木の足首、そしてふくらはぎ、そして太ももへと拭いていってあげた。さすがにパンツ周辺は「ここは私がするね」といって俺からタオルを受け取り、股間を念入りにキュッツキュとタオルでふき取っていた。

俺は「どうする?パンツは履いたままにしとく?」と聞くと、荒木は「うーん。。できれば脱ぎたい・・・」と言ってきた。俺は「じゃ、目つぶりながら脱がすから、さっきみたいにお尻だけあげてね」といい、俺は荒木のパンツに手をかけた。

が・・・・。俺はそのかけた手をすぐ外し、そのままオムツ替えシートに座る荒木を抱きしめ、、そしてキスをした。

そしてキスの応戦が始まった。ムードが一気に変わった瞬間だった。

愛情がこもりにこもったキスだった。キスだけで20分くらいやっていたと思う。そして俺はキスを維持しながら荒木の胸をブラウスの上から右手でもみ、、少し胸をもむと、すぐに右手は荒木のパンツの中へと入れていった。

オムツ替えシートから、足をぶらーんとさせていた荒木だったが、俺の手が下に移動した時に、荒木は自分の左手で自分の左膝を下からかかえ、左側に足を広げたのだった。俺が触れやすいようにとの配慮だと思う。

俺は(足は、、、自分の意志では広げることができないのか・・・)と荒木の症状を知った気がしたのだった。

パンツの中に手を入れた俺は、手の甲に、もともと濡れていたパンツの湿った感じの感覚が伝わり、、そして割れ目を触った俺は、意外とそこが濡れているのに気が付いた。俺はクリを攻め始めると、荒木は「ンンッ・・・」と声を出し始めた。

半分動かない体ということで、荒木は完全に受け身だった。そんなオムツ替えシートに座る荒木のクリを攻め、、そしてまた胸に戻ってはブラウスをはだけさせて生乳首を吸い、、そしてまたクリをせめてパンツを脱がした。そして両足をM字開脚にし、、俺は頭をうずめさせて舌で荒木にクンニをした。

俺は荒木があまりに、喘ぎ声を出すのを我慢しているのか、声を出さない体質なのかわからなくて、、「きもちい・・?」と聞いてみたら、荒木は「うん・・w 声でちゃいそう・w」と言ってくれた。

そしてキスもした。胸も攻めた。クリも攻めた。クンニもした。あとは入れるだけ。と俺は自分のズボンを脱ぎ始めると、荒木が・・「フェラできるよ?」とぼそっと言ってくれたのである。

俺は「え・・?いいの?」と、そんな返事をしたと思う。(とっさに、どうされるのか分からなかった)

荒木は「車椅子座らせて」と言ってきたので、俺はまた荒木を抱きかかえ、タオルを座布団替わりにひいた車いすへと座らせた。

(なるほど・・・)と思った。車いすに座った荒木。その目の前に俺が立つと、荒木はすこし顔をかがめるだけで、フェラをすることができる。

俺は荒木の眼前に自分の肉棒を突き出すと、、荒木はそれを手にもって、自分の口の中にパクっと入れてくれた。

優しいフェラだった。丁寧だった。ゆっくりと根本までくわえ込んでくれたかと思うと、今度は舌先で中でゴロゴロとしてくれたり、またゆっくり出て行ったかと思うと、今度はカリの部分を舌先でなぞってくれたりした。

激しいフェラではなかった。しかし、濃厚で、ゆっくり、丁寧で優しいフェラだった。あまりに気持ち良すぎるので、(どこで覚えたんだろう・・・)と気にもなった。

そして5分~10分くらいフェラに身を任せていると、荒木も疲れたのか、口からずして、恥ずかしそうにニコっと笑ってきたのだった。

入れる瞬間がやってきた。

俺は荒木を車輪ロックした車椅子のまま、右足は右の手すりに引っ掛け、左足を左手すりにひっかけ、そしてM字開脚とした。そのまま俺は中腰にし、体全体をかがめるように(少し不自然ではあったけど)自分の亀頭の先端を、荒木の割れ目の中央へと持っていき、(ここだな・・)というポイントでグッと腰を前に動かすと、ニュプ・・・と奥まで入っていった。

荒木は「ッ!!!!!」という吐息のような喘ぎ声を出し、俺は無言で腰を前後にユッサユッサと降り始めた。荒木は「!!!! ッ!!!! ・・ア・・!!!!」と快感からくる喘ぎ声を我慢するのに必死だった。

そして血管が浮いて愛液で光った俺の肉棒は、荒木の小柄な体の中に、ズンズンと吸い込まれては抜け出して、吸い込まれては抜け出してを繰り返していた。

ずっと車いすの上での挿入行為だった。入れている間、俺の頭の中はいたって冷静であり、思い浮かべていたのが、あの小学校時代、荒木の車椅子を押して、家に帰っているときのあの光景だった。

あの時、俺はずっとムスっとしたままだったが、荒木はそんな機嫌の悪い俺をなだめようと、「ねぇねぇ酒井君、あれ知ってる?」と話しかけてくれていた。そんな記憶。

それから夏休み明けの、先生が「荒木は東京へ引っ越した」と聞かされた瞬間。

そして、ドラゴンボール筆箱と手紙を手にしたあの時の後悔と無念。

そして最後に、俺がまだ、荒木が靴も履いていないのに俺が早く帰りたい一心で荒木に早く車椅子に乗るように仕向け、荒木が「ちょっと、まってよー」と車いすの上で片足をついて靴を履いているとき、俺は「早くしろよ」と言いながら、(こいついつも白のパンツだな)と思っていたこと。

しかし、目の前で、うつくしい眉に長いまつげをもち、キレイになった荒木は、今、俺を受け入れて快感に身を悶えさせている。

あの時の無垢だった白パンツの奥にあったものに、今こうして俺は自分の一部を受け入れられているのだ。

俺は(荒木と再会できて、、本当によかった・・・!!!!)と心から思った。そして俺は(荒木!!!!!!!)と心の中で叫び、、腰の動きをパンパンパンパン!!!!!!と激しく降ると、荒木も「アアアア!!!!」と声をあげながら、俺の首に手をまわし、俺を抱きしめてきた。

すると荒木もイク寸前だったのだろう。あそこがキュ~~と閉まってきて、荒木は弓なりに背骨をそらしていった。

そして俺が、ドクッドク!!!と中で自分の分身を荒木の中で大量に放出させているとき、荒木も腰をビク!!!ビク!!!と揺らしてイッ時の余韻に浸っていた。

結局、ムードがムードだったので、そのまま中出ししてしまった。。。

ハァ・・・ハァ・・・・・! と言いながらも、俺はまだ荒木の中に自分の陰部を差し込んでいた。

荒木は「中で出した・・?」と聞いてきて、俺は「うん・・」といった。

俺はすぐに、「ごめん・・」と謝ったが、、「仕方ないよ・・w 出来たらできたでよし。できなかったらそれもよし^-^」と、覚悟が決まった女は強かった。

それから俺たちは最後の1枚のタオルと、トイレのテッシュを使ってそれぞれ後処理をし、荒木はオバサンスカートをはいて、そして一緒に外に出た。

外に出るや否や、、「外のほうが涼しいー!!www」と二人同時に言ったのを覚えている(夏の暑い中、密室で性行為していたのだから無理もない)

そして俺たちは、「もう遅くなったけど、、付き合おうよ」という俺の誘いに、「うん・・w」と荒木は答えてくれた。

あれから今では6年が経過し、俺は30になった。今では既婚。そして子供もいる。

嫁さんは、、、当然のごとく、酒井唯。 

4年前の結婚式の日、小学校の同級生たちは、俺たちの数奇な出会いを「ぜひミニ映画にしたい」ということで、当時の現場の撮影、ドラゴンボール筆箱の登場、そして当時俺が荒木からもらったあの母親が格納していたあの手紙の実物の朗読もして、俺たちは周囲に温かく見守られながら結婚式を遂行した。

今では荒木、いや唯も子育てに忙しい、主婦まっさかりで忙しい毎日を送っているが、時折俺が、「こんばん、する?ww」と聞くと、「うん・・ww」と答えてくれる唯がいる。

子供たちを寝かせ、、そして二人っきりでベッドに入れば、もうそこは夫婦の関係。昔はもっと奥ゆかしかったのになぁ~~なんて思うが、唯のフェラは相変わらず抜群のテクを誇っており、、俺が「どこで習ったの?www」と聞いてもいまだに答えてはくれない。

また、俺が疲れて手抜きをしていると、「もう入れるの?入れる前にちゃんとなめて♪」と足を自分で広げてクンニ要求も言ってくる>< はいはい・・w といいながらなめてあげたりする俺もいる。

いつまでも、いつまでも、こんな感じで幸せに過ごせればいいなぁ~~~。なんて思いながら筆をおきたいと思います。

以上、幼馴染との体験でした。

最後まで読んでくれて、ありがとうございました^-^ 
10
投稿者:おっさん
2018/03/06 01:29:59    (9pEYXkOV)
最後まで聞かせてくれてありがとう。
気持ちが暖かくなりました。

いつでもお幸せに♪
また 気が向いたら最近の夫婦生活も報告してください。
11
投稿者:やす
2018/03/06 12:06:43    (Qd.AAHkf)
いろんな人生がありますね。
久々にいい投稿でした、お幸せに!
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