健介は、きっと自分はこのまま朝香に近付く勇気を出せずに中学校を卒業
して、顔を合わせることすらなくなって、この世のどこかで暮らしている多
くの他人のうちの一人になってしまうのだろうなと予感しだした。そう思う
のならその前に行動を起こせばいいだけのことなのだが、それまでも言おう
と思えば言えた。その機会を、気持ちの整理がついていなかったとはいえ、
ことごとく逃してきたから、今更言い出し辛かった。今言うのなら、何故も
っと前に言わなかったのだと自問してしまうのだった。また、幼馴染はどこ
までも幼馴染で、それ以上の関係にはなれないのではないかと、根拠などあ
りはしないのに、決め付けるような気持ちもあった。朝香だけが女じゃない
さと割り切ろうとする気持ちもあった。それは欺瞞に違いなかったが。
　高等学校は、自分の学力に見合った公立校を志望した。朝香はどこに行く
のかが気になったが、会話する機会がなくなっていたし、わざわざそれを教
えてくれる者もいなかったので、知れなかった。健介は最早、諦めていた。
　よくいう言葉でいえば、運命のいたずらとでもいうのだろうか。何かの間
違いではないかと思った。奇跡を見る気さえした。
　受験会場で、朝香に会ったのである。
「小嶋も、ここ受けるの？」
　周りに知り合いはいないのに、それでも同じく試験を受けに来た他の中学
校の生徒たちが大勢いるのが気になって、下の名前で呼ぶことができなかっ
た。朝香は、ちらと眉をひそめたようであったが、すぐに笑顔を見せた。
「そうだよ。知らなかった？」
「知らなかった」
「私は知ってたよ」
　刹那、健介は喜びを感じた。朝香は自分がこの高校を志望したのを知った
から、同じところを受験しに来たのだろうと、ほとんど確信的に思ったので
ある。健介は、思わず口をつぐんで、朝香を見つめた。朝香も澄み切った瞳
で見つめ返していた。二人の間に親密な空気が漂った。それを破ったのは朝
香であった。
「いや、あのね。進路相談のとき、私がここを受けたいって言ったら、先生
が教えてくれたんだよ」
　健介の心持ちを看破したのか、さも誤解しないでくれとでも言いたげに、
わざとらしく笑いながら、朝香は言った。健介は、せっかく急速に接近しか
けたかのように思えた二人の距離を、朝香の方から突き放されたことに失望
を感じた。けれども、朝香の態度は照れ隠しをしているようにも見えたの
で、そこまで大きな落胆ではなかった。
「お互い合格するといいね」
　そう励ましあって、二人は試験に臨んだ。
　健介は、この高校受験を、当初は何となく沈んだ気持ちで、目的も目標も
ないような気がしながら、とりあえず受かればよしという程度に考えていた
が、思いがけず朝香と会い、それも同じ高校を受験すると知ったことで、俄
然やる気が湧いた。試験当日にそうなったところで、試験というのはそれま
での勉強の成果が現れるものであるのだが、それはそれなりにやってきた
し、とにかくもう、落第するわけにはいかぬと思った。
　合格発表は二人で見に行った。朝香が誘ったのである。無論、健介は断る
わけがなかった。
　二人は合格した。
　朝香は、隣に立っていた健介の腕にしがみついて、飛び跳ねて、狂喜乱舞
の体であった。しきりに、やった、を繰り返した。健介は、うわべは落ち着
いていたが、内心は同じくらい舞い上がっていた。
「これでまた一緒だね」
「腐れ縁になっちまうな」
　腐れ縁とは、悪い縁が続くときに用いる言葉であるが、とっさにその言葉
を思いつき、他に適切な言葉を見つけることもできなかったので、そう言っ
てしまった。朝香がそれをさほど気にしなかったのは、健介にとって幸いで
あった。
「そうだね。でも、私は嬉しいよ」
　興奮のためか、朝香は非常に素直らしかった。
「うん。俺もだ」
　釣られるように言ったが、それは紛れもなく本心であった。ちゃんとこの
気持ちが伝わればいいがと思った。