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邪なる施術  1
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:人妻熟女 官能小説   
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1:邪なる施術  1
投稿者: 司馬 名和人
「猪市殿、すっかり見違えたぞ」
 鳥羽海老蔵勝洋[かつひろ]はそう呟きながら目を見張って目の前に座っている武井猪市の姿を眺めた。
  「フフ、そうですか、似合いますかな」
 そう言って穏やかな微笑を浮かべながら武井猪市[いいち]は杯に注がれた酒を飲み干すのである。
  「フフフフ、なかなかどうしてどうして。猪市殿、そなたのその姿を見ると何も知らない者はどこぞの大寺院の身分高き僧侶と見まがうぞ」

海老蔵もそう言いながらやはり杯に注がれた酒を飲み干すのである。そして心の中でつい先日まではこの猪市がくたびれた五月の武者人形のようなうらびれた直垂のような衣を身に纏って杖を片手に街中を歩いていた姿を思い起こしていた。

 そのような猪市がしばらく姿が見えないと思っていたら、上半身を僧侶のような黒衣、下半身は白袴と言うような先ほど、海老蔵自身がはかなくも言った用にどこぞの寺の高僧のような格好をして海老蔵の前に現れたののである。
  「それはまああ我ら座頭の盲官は本来は朝廷から寺院の官位として与えられたものですからな。おのずと僧侶の服装に順ずる形になります。更にこの上の検校の位に昇進するとそれこそ、紫衣を着ることになりますが」

  「そうじゃのお、検校の紫衣はそなたら座頭の憧れのようなものだからのお、しかし、今度、猪市殿、そなたが賜った勾当の位のなかなかのものであろう」

  「それは確かに、勾当になったからにはこのわたくしもようやく、武井の姓を名乗ることができましたので、まあお侍の世界で言えばようやく士分の身分になったと言えるでしょうね」

  「なるほど、士分と同様な。それはそれは結構なことだな」

  ここは江戸・深川のある料亭の一室である。
 禄高・二千五百石である直参・旗本である鳥羽海老蔵は友人である武井猪市と杯を交していた。

  海老蔵、猪市ともに今年、30歳になるが、この二人が初めて顔を合わしたのはいまから約二十年以上も前の話で二人ともまだ十歳の頃であった。

 その頃の海老蔵はまだ、勿論鳥羽家に婿養子として入る遥かに前で、実家の林家の部屋住みであった。鳥羽海老蔵はもとは幕府・徳川将軍家の奥儒者で幕府学問所の長官でもある林大学頭の二男として生まれた。
 
  彼の。兄は当然の様に父の後を継ぐ見込みであり、学問に励んでいた。
 そのような兄とは違って海老蔵は余り学問には興味は示さずにただただ林家の部屋住みとして将来のあてのない日々を送っていた。そのような時に猪市と顔を合わせたのである。



 武井猪市は本来の名を武井猪一郎と言い、奥州のある小藩の代官を務める武士の家の長男として生まれた。猪一郎は幼い頃より、剣術はカらしきであったが学問の才能には恵まれてまだ十歳になるかならないかと言われた頃からその学識は藩内に知られる存在となり、やがて当時の藩主自らのお声がかりで江戸への遊学が認められたのである その猪一郎が藩から派遣された遊学先こそ、、、、海老蔵の父である林大学頭の私塾であった。それは海老蔵の父がその猪一郎の主君の実の弟であり、、、、実は林家に養子に来ていたひとであったからである。そして、猪一郎は林家に寄宿する事となったのである。そしてその林家の二男である海老蔵と知り合う事となったのである。やがて約三年余りの遊学を終えて一時的に故郷に戻った猪市一郎は若干・十三歳で城の大広間で藩主、重臣、その他の過信一同及びその家族らを前に堂々と論語の講義をしてみせたのである。その学識の深さに目を見張った藩主は再び猪一郎を江戸に連れてゆき、やがては湯島の幕府学問所で学ばせようとしたのである。

 そのような前途洋洋であった猪一郎に暗雲が漂い始めたのはその直後のことであった。なんと、彼は原因不明の病を患い、視力を失い始めたのである。
 彼の突然の病に両親は当然のことであるが、彼の学識を惜しんだ藩主も心配してわざわざ一介の家臣の子のためにある長崎にて蘭方医学を修行した医師を遣わしたりしたが結局、彼の病を直すことは適わなかったのである。結局、猪一郎は完全な失明こそ免れたものの、ほとんどの視力を失い、勿論武士として十分な勤めを果たすことなど出来ない身の上となったのである。

 彼の父親はやがて涙を飲んで猪一郎を廃嫡して、彼の弟を武井家の跡継ぎとしたのである。こうして猪一郎はまだ13、4歳と言う年齢で将来の当ての無い身の上になったのである。

 それからしばらくして猪一郎は十五歳になった時に密かに故郷を後にして江戸に上り、やがて伝を頼って検校・花岡徳市の門を叩いたのである。

 その当時、花岡検校は盲人の身の上でありながら天下随一の国学者として既に知られた存在であったからである。こうして花岡検校の弟子となった武井猪一郎は武家の身分をかなぐり捨てて所謂座頭と呼ばれる盲人の世界に入ったのである。
 

 その当時の座頭と呼ばれた盲人たちの多くは当道座と呼ばれる一種の職業・互助組織に加入していた。当道座は本来は琵琶法師ら、盲人の音曲を生業とする者らで構成されていたのであるが、江戸時代も後期に入ったこの頃になるとあんま・鍼灸等医術を生業とする座頭らも多く加わっていた。
 彼ら、当道座に加入した盲人らは自分たちの稼業の保護を公儀に訴えて結束していた反面、座内では京都の職検校、つまり惣検校を頂点とする階級世界を築いていた。検校、勾当、座頭と呼ばれる所謂盲官と呼ばれる盲官[盲人の官位]をと呼ばれる身分秩序はやかましかったのである。しかし、検校ともなると対外的にもそれなりの身分・格式で遇され、特に惣検校や関東の盲人を統括する惣禄検校ともなれば十万石級の大大名と同様の格式・威光があったと言われる存在であった。

 海老蔵が江戸で久しぶりて会った時の猪市はまだ座頭の最初の位である衆分にもまだなっておらず、その下の内掛けと呼ばれる地位でしかなかった。海老蔵と猪一郎がなぜ顔を合わせたかと言えば、先述したようにこの当時、既に盲人ながら国学者として名をはせていた花岡徳市検校が幕府の御用で故事・古文書等の仕事を請け負うことが多くなり、その関係で幕府の奥儒者である林家に出入りするようになり、猪一郎もそのお供で林家に出入りするようになったからである。その当時の猪一郎は花岡検校の屋敷に住み込んでそ当時の盲人のあんま・鍼灸師らを養成する医学校とも言うべき杉山流鍼術稽古所に通っていた。それは元禄の頃に五代将軍・綱吉の御用鍼灸師であった杉山和市検校が創始した杉山流鍼灸術を教えていたのである。

 そんな対照的な身の上であった海老蔵と猪一郎であったが久しぶりに再開して旧交を蘇らせたのである。いやより前以上に意気投合したのである。

 それは猪一郎が杉山流鍼術稽古所を出て、座頭の最初の位である一度の衆分の位を得て名も猪市と変えてからも続いていた。
 そうこうする内に海老蔵は二十五歳の時に旗本・鳥羽家に婿養子として入ったのである。

 その頃、猪市はそれまで住み込んでいた花岡検校の屋敷を出て、八丁堀のある町方与力の屋敷の離れを借りて住むようになっていた。猪市はそこから、あんま・鍼灸を生業として多くの武家や商家の患者を回るようになったのである。そのような猪市であったがあんま・鍼灸以外に別の副業も営んでいた。いや、本業の医業よりもその副業で稼いでいたと言うのが実情であった。

 その副業とはなんと高利貸しであった。先述したように当道座に加入した盲人つまり座頭らが検校、勾当らの身分秩序が厳しいのであるが、更に幕府は盲人たちに積極的に検校、勾当、座頭、衆分らの盲官を得るように薦めていた。
 盲人の官位、盲官には大きく分けて検校、別当、勾当、座頭の4階級に分かれていた。  ※注[但し、別当は事実上、検校位の一部となっていたので実施質、三階級。つまり別当になれば検校と呼ばれた。]
その4階級は更に細かく分かれて全部で73階級にも分かれていた。座頭らの多くがそれらの階級を上ることに血道を上げていたのであるが、まともにやっていたのであればとてもとても検校まで昇進するのは並大抵では無かった。
 その為に、これら盲官は金で買うことが出来たのである。特に検校になるには七百両余りの金を出す必要があると言われた。しかし、音琵琶、琴、三味線等の音曲、あんま・はり灸等の医業を生業とする盲人・座頭らにそのような財力がある訳は無かった。その為に徳川幕府は元禄の頃より、当道座に続する盲人らに特に高利貸しをすることを認めて、保護したのである。

 そのために多くの座頭・盲人らは高利貸しを営み、彼らは座頭貸しと呼ばれ、その取立てはことさら厳しいものであり、そのために検校、座頭らは貧しい町人らからは恐れられていた。

 それは猪市も例外ではなく、それに加えて、国学者として名高い彼の師である花岡検校自身が高利貸しを自ら行うことに積極的でなく、検校自身の座頭貸しの資金を弟子である猪市に任せるようになったので、猪市は自分自身の財産に加えて師である花岡検校の資金も一緒に運用するようになっていた。
 特に、猪市は貧しい町人らに金を貸すだけでなく、多くの小身の旗本・御家人らに金を貸すようになったのである。彼らのおおくは余り豊かではないものの、武士として、直参としての面目から言っても決して借財を踏み倒すことが無かったからである。

 そのように猪市はあんま・鍼灸を表看板にしながら、着実に座頭貸しで財力を蓄えていた。
 そのような状況の中で猪市はしばらく江戸から姿を見せなくくなったと思っていたら、今度、勾当の位を得て再び海老蔵の前に姿を現したのである。話を聞くと京都に上り直接、勾当の位を貰って来たと言うのである。既にこの頃になると江戸・本所にある惣禄屋敷を通じて官位を貰うことが出来てわざわざ京都まで行くひ必要が無かった。それを言うと猪市は微笑して次のように言った。
  「まあ、一度、京都まで行きたかったのですよ」

  「それに一日も早く勾当になりたかったので、師匠の許しを得て、京に上り、ついでに大阪等、上方あたりを回ってまいりました」

  「なるほど、それはそれは。結構なことであったな」
 海老蔵はそのように呟きながら改めて勾当の正装を纏った猪市の姿を眺めるのである。
  「それはそれとして」
 猪市はそう言いながら姿勢を正して「このたびの和泉守様のご不幸。誠にご愁傷様であります。改めて和泉守様のご冥福をお祈り申し上げます」

 実は、猪市が京都への旅に立って間もなく、海老蔵の義父であった鳥羽和泉守が急逝していたのである。
  「うむ、猪市殿。ご丁寧なご挨拶、痛み入る」
 さすがに海老蔵も姿勢を正しながら勾当に挨拶を返すのであった。
  「それにしても突然のことでしたな。なにしろ、いまだ現役の大目付様でしたので。わたくしも京でその知らせを聞いて大変に驚きました」

  「うむ、卒中だったのでな。城から屋敷に戻ってからすぐに倒れた。もしも城の中で倒れられたらと思うと、一時はぞっとしたぞ」
  「そうですな。城中、それも将軍家とのお目通りの際にでしたら、ただではすまなかったかも知れませんな」

  「まあ、ともかくも無事に葬式もすませ、つい先日に四十九日もすませたのでようやく、ほっとしたところじゃ」

  「それはそれは何かとご苦労でしたのお。しかし、海老蔵殿」
 そこで猪市はニヤリと微笑しながら言葉を続けた。

  「これで海老蔵殿、貴方様もようやく、旗本・鳥羽家のご当主になられましたの」

  「うむ、あの舅殿は還暦を過ぎても隠居の気配もなかったのでな。拙者も三十路を超えてしまった」
 鳥羽和泉守は若い頃より、幕閣の要職を歴任した人物で浦賀、長崎等の遠国奉行を務めたのちに勘定奉行、江戸南町奉行を務めたのちに急死するつい先日まで大目付をつとめていたので、婿養子である海老蔵になかなか家督を継がせる気配もなかったのである。 しかし、義父の突然の不幸があったとはいえ、これでようやく羽海老蔵も2500石の旗本、鳥羽家の当主に晴れてなれたのである。


  「そのことについては和泉守様のご不幸はご不幸としてッ率直にお目で当ございますと言わせて貰いますぞ」
 勾当はニヤリとして見えない目で海老蔵の顔を覗き込むのである。

  「ふむ、これで拙者も鳥羽家を継ぐことが出来たし、猪市殿、そなたも昇進したし、まさにご同慶の至りだな」
  「はい」
 そのように猪市は頷いてからすぐに気を取り直すように言った。
  「海老蔵殿がご当主になられたからには、あとは貴方様が一日も早く、お役につくことですな」

  「うむ、そのことよ。勾当殿」
 海老蔵はそう呟きながら杯を飲み干すと更に言葉を続けた。
  「そのために小普請支配の酒井兵庫殿のところに挨拶を欠かしておらぬのよ」

  「エエエ、小普請支配の酒井様?、あのお恐れ入りますが、海老蔵殿、貴方様は寄り合いではなかったのですか」
 その勾当の言葉に海老蔵は苦笑しながら「ああ、わが鳥羽家は禄高は2500石じゃ。寄り合いの視覚である三千石には足りんのだ」
  「そうですか、しかし岳父であられた和泉守様が勘定奉行になられた時に寄り合いになられたとお聞きしましたが?」
  旗本でも原則三千五区以上の者は寄り合いと呼ばれ、それ以下の禄高の者よりは一段高く見られていたし、それなりの待遇を受けていた。三千五区以下の者でも幕府の要職を務める者にも寄り合いの視覚を与えていたのである。寄り合いの視覚を持たない無役の旗本・御家人は一括して小普請組みに所属させられていて、何人かの小普請支配に統括されていた。小普請組に属している無約の旗本や御家人が何らかの役に就くには所属する小普請支配の推薦を得て約に就くのが普通である。

  「確かに舅殿は寄り合い格だったのであるがの。それはどうも舅殿一台限りだった見たいじゃ。舅殿が亡くなったいいまは拙者も小普請の一人じゃ。じゃから小普請支配の酒井殿のご機嫌を取っておるのじゃ」
 鳥羽海老蔵はそのように呟くと空となった猪市の杯に酒を注ぐのであった。

  「それはそれは大変ですな。酒井兵庫様と言えば三河以来の家柄でかつあの前橋の酒井様のご親類でしょう。何かと気難しいお方と聞いておりますが」
 猪市がやや案じるようにそう言うと海老蔵も頷きながらもやや明るい表情でこう言った。
  「確かに、そなたの言われる通りじゃが、いま一つ、拙者には良い伝がある」
  「ほう、それは?」
  「うむ、拙者の奥がの、兵庫殿の奥方の姪なのじゃ」

  「ほう、奥方の叔母上とは、それではあの一色家の?」
  「左様、兵庫殿の奥方は一色左京大夫殿の妹だそうじゃ。そのゆえなかなか誇り高い奥方で、さすがの兵庫殿も奥方には何かと気を使うそうだ」

  「それはそれは」
 猪市は意味ありげに微笑するのであった。
   


  「叔母上様には先日の亡き父の49日の法要にも御夫君・兵庫様ともどもご出席していただき誠にありがとう存じます」
 鳥羽海老蔵の妻である多美は酒井兵庫の屋敷に兵庫の妻であり、自分の実の伯母である佐和を訪ねていた。
  「多美殿、そのような型苦しい挨拶はよしてください。それにしても義兄上様には突然のことで、多美殿、あなたも海老蔵殿もさぞかし大変だったでしょう」
 佐和はそのように言いながら穏やかな笑顔を多美に向けるのであった。

  「はい、確かに父が屋敷に帰るなり、突然倒れた時はさすがにうろたえました。何しろ、つい先日まで何事も無く過ごしておりましたので」
  「そうでしょうね。わたくしもあの義兄上様がよもや卒中でお亡くなりになるとは思いもよりませんでした」
 佐和はそのように顔を曇らせるのである。そのような佐和の表情を伺いながら多美はこう思った。
  「それにしても、この叔母上は若い。とても四十路近くの年齢で元服した息子がいるとは思えない」

 佐和は今年、27歳になる多美より丁度一回り上の年の筈であるから、来年にはもう四十路を迎える年齢であり、また一人息子である兵馬も19歳であり、そろそろ、嫁鳥の話も出ていると言うのに全く、この佐和は年齢を感じさせないのである。

 背格好は高からず、細からずの並の体つきであるものの、目鼻立ちがくっきりとした美貌の表情を持ち、特にその大きくくききりとした黒い瞳で見つめられると同性でかつ血の繋がった姪である多美でもぞくっとするのであった。

 この佐和は多美の亡くなった母親の妹であった。多美の亡母も、この佐和も高家である一色家の出であった。

 高家とは元禄・赤穂事件で有名な吉良上野介で知られている用に徳川幕府に措ける儀式・典礼を司る高級旗本である。旗本と言う点に於いては佐和や多美がいる酒井家、鳥羽家と同様であるものの、一色家を含めた高家はやや普通の旗本とは毛色が違っていた。

 先述した様に高家は吉良家のように室町幕府の将軍の一族等、戦国の下克上によって没落した名門の家柄の者たちで占められていた。現に佐和や多美の母親の実家である一色家もかつては足利将軍家に繋がる名門の一つであった。
 その為に高家は皆、禄高は3000石から5000石程度の普通の大身旗本並であるもののその官位・格式はおよそ、前田、島津、伊達家等の数十万石の大大名級の待遇を受けていた。現に佐和の兄で現在の一色家の投手である公成[きみなり]はその禄高こそは4000石であるが、十四位下の左京大夫・侍従であり、江戸城中の席次も国餅大名並みであった。

 そのような名家のお姫様として育った佐和は四十路近い年齢になってもその上品な美貌は隠しようもないのである しかし、そのような叔母の表情を眺めているうちに多美はおやっと思った。


 先ほどから佐和は相対している多美に対して常に笑顔を絶やさないのではあるが、何いま一つ、元気が無さそうであり、またその口元に浮かぶ微笑もやや引きつった様な感じを受けるのである。

 その様子が余りにも気になったので多美はおずおずとではあるものの、思い切ってこのように目の前の叔母に聞いたのである。

  「あのおお、叔母上。ご気分が優れないのですか?」
  「ええ」
 多美にそう問われて佐和は一瞬、キョトンとしたような反応を見せたがすぐにはっとしたようになり、多美に「多美殿、そなたの目にはわたくしがそのように見えましたか?」と口元に笑顔をにじませながら言った。

  「いえ、そのお。何だかいま一つお元気でないように感じたものですから、ご無礼の段はお許し下さい」
 多美はやや面を伏せながらそのようなことを言ったが佐和はことさらのように笑顔を振り向けながら次のようなことを言うのであった。

  「おほほほほ、多美殿、そのようなこと気にすることはありませんよ。まあそなたの目にはそのように見えたのかも知れませんねまあこのところ、兵馬の縁談などいろいろと気を使うことがありましたし、それに」
 そこで佐和は一段と穏やかな微笑を口元に浮かべながら更に言葉を続けた。
  「わたくしも、来年はもう四十路を迎える年になりました。それもあるのでしょう」
  「いえいえ、叔母上。お年だなんて、そんなあ」
 多美もそう答えるしか無かったのである。


 それから程なくして多美は酒井家を辞して鳥羽家に戻ったが、すぐにやはり、外出していた夫の海老蔵も屋敷に戻って来たのである。

  「酒井殿のご様子はどうじゃった」
 屋敷に戻って来るなり、海老蔵はそのように妻に聞いた。
 実は亡き岳父・和泉守の四十九日の法要に夫婦揃って出席してくれたのに対するお礼の挨拶もかねて妻の多美に本日、酒井家にご機嫌伺いをさせるために赴かせたのである。

  「兵庫様は生憎、他出されておりましたので、お会いできませんでしたが、幸い、叔母上様、ああいえ、奥方様にはお会いして先日のお礼を申し上げておきました」

  「そうか、そうか。佐和様にはお会いできたのじゃな。それでそのご様子はどうじゃった」

  「はあ、それが、そのお」
  「うん、多美。いかがした?。佐和様にはそなたいつも妹のように可愛がられておったであろう」

  「はあ、そうなんですが、叔母上、いえ佐和様のご気分がいま一つ。優れないご様子でしたので、余り、お話も出来ませんでした」
 多美はそのようなことを俯いて離すのである。
  「うーむ、いま一つご気分がのお、どうしたことなのかのお」
 海老蔵は顎に手をかけながら少し考えてから、再び妻の方に言った。
  「多美よ。そなたは佐和殿の実の姪じゃ。何か思い当たることは無いかの」

  「そのことなんですが、実はわたくしも気になりましたので、あちらの御屋敷を辞去する前に慌しくはありましたが、女中頭のおとくに叔母上のご機嫌が何故優れないのか問いただしました」
  「ほう、そのおとくとか申す、女中は確か、佐和殿がご実家の一色家より連れてまいった者と記憶しておるが」
  「左様でございます。ですから、なんと申しましても叔母上に忠実な者でございますので。それで問いただしたのでございます」
  「ふーむ、それで、その女中は佐和殿の件についてどう申しておったのじゃ」
  「それがでございますが」
 それから、多美はそのおとくから聞き出した話の内容をおずおずと話始めたが、海老蔵は段々とその話の内容に興味を持ち始めたのである。


 それから数日後のことである。江戸は吾妻橋近くの大川端に浮舟と言う船宿があった。そのすぐ近くの茶店の縁台に三重がらみの着流し姿の武士と二十歳すぎのいかにも熟れた感じの芸者らしい年の頃は22、3ぐらいの女が座って茶を飲んでいた。
  鳥羽のお殿様、どのような風の吹き回しなんですか。このあたいをこんなところに誘って」
 芸者らしいその女がいかにもおかしいというように連れの武士に話しかけたのである。
  「うむ、たまにはそなたと外でゆっくりと過ごそうと思って名」
 その連れの男はそのように言ったが、その目はすぐ近くの浮舟に向かれていた。
 その武士は鳥羽海老蔵であり、連れの女は彼の馴染みである辰巳芸者のぽん太であった。京、昼間にぽん太が寝起きしている措き屋を突然に訪ねてきた海老蔵が彼女をここに連れ出したのである。

  「へえええ、どう言う風の吹き回しでしょうね。昔の海老様ならともかく、ちゃんとしたお旗本のお婿さんに治まった貴方様がね」
 海老蔵がかつて林家の部屋住みの頃の遊蕩していた頃をしっているぽん太はいかにも皮肉な微笑を浮かべているのである。
 その時である、茶店の前をおこそ頭巾を被った年の頃は二十歳前の娘が通り過ぎたかと思うとあれよあれよと言う間に浮舟に入って行ったのである。そしてその若い女を密かに尾行している町人らしい男がそっと海老蔵に目配せしたのである。

  「あらまあ、あんな娘さんがこんなところに一人で来るなんてて、少し怪しいですよ。鳥羽の殿様、フフフ恐らく男と待ち合わせしているのですよ」
 ぽん太が異いかにもと言う様に悪戯っぽい微笑を浮かべながら海老蔵に囁くと、海老蔵はシイイイイイと唇に指を当てながら「静かにせんか。聞こえるだろう」と窘めるのである。
 そうこうしている内に、あるいかにも立派な身なりをした武士が浮舟の前に現れたのである。これまた頭をすっぽりと包む頭巾を被っていたので年の頃は定かでは無かったものの、その物腰からかなりの年配の様に見受けられたのである。
 その件の武士は船宿の周囲を憚るように周囲をキョロキョロと見見渡していたがやはり浮舟の中に入っていったのである。そして、その武士のあとを先述の娘と同じように町人らしい男が尾行していて、やはりそっと海老蔵に目配せするのであった。
 その目配せに黙って頷いた海老蔵はすっと縁台から立ち上がるとすぐ側にいる芸者に「さあ、俺たちもあの舟宿に入るぞ」と言った。
 その海老蔵の言葉にぽん太はキョトンとした様な表情になり、「えええ、殿様、あたいらもあの舟宿に?」
  「あああ、たまにはお前と舟遊びをするのも良かろう」
 海老蔵はそのような事を笑みを浮かべながら言うと更に次のような言葉を継ぐけるのである。
  「しかし、その前に少しやることがあるがな」

 海老蔵はまだ腑に落ちない様子のぽん太を連れてやがてその舟宿の暖簾を潜ったのである。
  「いらっしゃいませ」
 そのような声とともに女中らしい中年の女が出てきた。
  「恐れ入るが、ちと舟を出して貰いたいのだが」
 海老蔵がそのように切り出すとその女中は笑顔で「それはそれは、有難うぞんじます」と返事を返すのである。それに対して海老蔵はやや声を潜めてからその女中に尋ねた。
  「舟を出す前に少し、ここで休ませて貰いたいのだが」
 その女中は海老蔵と一緒にいる芸者とを見渡してからニッコリと笑みをうかべてから「あい、判りました。それでは早速、部屋を用意しましょう」と言ってすぐに立とうとしたのを海老蔵が止めてから更に言葉を続けた。
  「そこでちと尋ねたいことがあるのだ」
  「はああ、何でございましょう」
 その女中が怪訝な表情で尋ねると海老蔵は微笑して言った。
  「先ほど、この舟宿にご立派な、いかにも大身の旗本らしい武士とまだ二十歳前の娘が待ち合わせをしたであろう」
  「ええ、そんなお客様」
 途端にその女中は軽快する様に海老蔵とぽん太の顔を見つめるのである。海老蔵はことさら笑顔を振り向けながら言った。
  「アハハハハハハ、俺鼻、別に怪しい者ではない。まああの武士の親類の者だ。それに別にあの二人にどうこうと言うのではない」
 海老蔵はそう言いながら金を包んだ紙をそっとその女中に握らせると「あの二人は別に舟を頼んだ訳では無かろう」と問うのである。
  「あのお、こ困ります。こんなことをされては」
 その女中はそのようなことを言ったが別にその金を返そうとはしないので、その表情は明らかに海老蔵の言葉を肯定していた。
 舟宿と言っても別に全ての客が舟を頼む訳ではなく中には先ほどの二人の様に出会い茶のように男女の密会に使われていたのである。
  「そこでだ。そなたに頼みがあるのだ。我ら二人をあの二人が居る部屋の隣室に案内して貰いたいのじゃ」
 海老蔵はそう言いながら再びそっと金を包んだ紙包みを手渡すのであった。
  「変な騒ぎを起こされては困りますよ」
 その女中は周囲を憚るような表情で海老蔵に言うと海老蔵も「ああ、騒ぎなどを起こしてそなたに迷惑はかけんよ」と言ったのでその女中も「仕方がありませんね」と言うのであった。


  「おみのよ。会いたかったぞ世」
 酒井兵庫はそう言うなり、おみのと呼ばれたその娘の体をそっと抱き寄せるのであった。
  「あああ、お殿様、わたくしも会いたかったですよ」
 抱き寄せられた娘もそのようなことをいかにも甘えるような調子で言うのであった。その身なりはいかにも町家の娘のなりで、その髪型もいかにも若い町娘が結うような桃割れ姿であった。
  「あああ、おみのよ。嬉しいことを言ってくれるな」
 兵庫はいかにも嬉しそうな子輪で囁くとおみのの頬と自分のそれとをくっつけて頬刷りするのである。

 このおみのは今年十九歳になるが、既に四十八歳と五十路目前の兵庫にとっては娘と言っても良い年齢であり、現に嫡男である倅の兵馬がくしくもこのおみのと同じ十九歳となるのである。
  おみのはつい先日までは酒井家の奥女中をしていて、奥方である佐和の侍女をしていたのである。
 彼女は本来は酒井家出入りの植木屋の娘で、その縁で嫁入り前の行儀見習いの名目で酒井家に芳香に上がったのである。その頃の商家や町人の娘の多くが花嫁修行のためにしばしば江戸に屋敷を置く、大名家や旗本等の武家の家に芳香に上がることがあり、おみのもそのような理由で酒井の家に芳香に上がっていたのである。

 おみのが酒井家の屋敷に芳香に上がったときは今から約二年前で彼女が十七歳の時である。その頃から既に愛くるしい顔をしている、明るい性格の娘であった。

 そのようなおみのをみていて、佐和は当初は嫡男である兵馬が同じ屋敷内に自分と同じ年齢の若い女中が住むことになったことに感心を示すのではないかと散々に気をもんでいたのであるが、その後の様子を見ても二人の間にそのような素振りもないのでほっと胸をなでおろしたのである。

 おみの自身も表面上は良く佐和に使えてくれたので、佐和も彼女に目をかけていたのである。そして、表面上は何事も無一年余りの月日が流れたのである。
 そのような中で驚くべきことが起こっていたのである。何と酒井家の投手で佐和の夫である兵庫がおみのに密かに手をつけていたのである。

 最初に二人の仲に気が着いたのは女中頭のおとくであった。このおとくは先述したようにもともとは佐和の実家の一色家で佐和の侍女であった女で佐和が酒井家に嫁入りすると同時についてきた女で既に五十の年をいくつも越えている古参の女中であった。
 最初、その話を聞いた佐和は半信半疑であった。あの既に五十にも近い初老の夫とまだまだ子供のような小美濃との間に男女の関係があるとは俄かに信じられなかったのである。しかし、おとくが夜中に夫とおにのがそれぞれの寝床をを抜け出してある部屋で密会しているところを目撃したとあっては信じない訳には行かなかったのである。

 その話を聞いた時に佐和は自分の身の内がが怒りのために打ち震えるのを感じていた。
 勿論、佐和も男と言うものが妻以外の女にしばしば手をつけるものであることは承知していたし、ことに武家の名家の娘に生まれ、旗本の妻となった佐和も、夫、兵庫ほどの大身の武士が妻以外の女を側室に持つことも珍しくも無いし、ことに家を維持するために多くの男子を得るためにも必要であることはわきまえてはいた。
 しかし、それにしてもでる。よりによって、自分の倅と同じ、小娘に、しかも自分が日ごろ、目をかけている侍女に手をつけることもなかろうにと。  佐和は夫とともにおみのにも裏切られた思いであった。

 それでも佐和は表面上は取り乱すことは無かった。いや、武家の妻の誇りとしてこのようなことで取り乱すのは恥であると自分に必死に言い聞かせたのであるが、それだけに返って腹の中は煮えたぎっていた。
 佐和はすぐにおみのの実家の父親である植木屋を屋敷に呼び出すと、酒井の家に差しさわりがあるとの理由でおみのを引き取るように一方的に申し付けたのである。そして同時におみの自身に理由を問わずに屋敷を出てゆくように言ったのである。
 武家、町人、主従と言う身分の上下には適わず、植木屋もおみのもいやおうはなく、こうしておみのは酒井家を放逐されたのである。
 佐和は何食わぬ顔で夫の兵庫にはおみのを不都合なことがあるので実家に帰したと一方的に報告したのみであった。それで兵庫は全てを察したのか驚きはしたが何も言わなかったのである。それだけ、この妻の気質は知っていたからである。
 そのようなことがあったのは今からおよそ、約十ヶ月程前のことである。それから、兵庫とおみのは外でこのように密かに人目を憚って密会を続けていたのである。

かなり長い間、おみのと頬刷りしていた兵庫はやがておみのと唇を合わせ始めるのである。
  「ピチュウウウウウウウウウウピチュウウウウウウウウウピチュウウウウウウウウウウウウウウウウウ」
 兵庫はまるで若者のような情熱的な口吻をおみのとの間に交したあとは唇を離すと同時に彼女の胸元を押し広げてそのまだ小ぶりの乳房に手をつけたのである。
  「ああああああああ、お殿様ああああああ」
 おみのはそのような喘ぎ声を出してその身を兵庫に寄りかかるのである。

  「フフフフフ、それにしてもそなたは可愛いのおお」
 兵庫はそのように嘯きながらおみのの着物の帯に手をつけて時解こうとするのであるがそれに対しておみのは抗いながら次のようなことを言うのである。
  「いやああ、お殿様あああ、おお待ち下さい、そんな」
  「フフフフ、いまさらわしとそなたとの仲だ。恥ずかしがることもなかろう。ほれほれ」
 そのようなことを嘯きながらほとんどおみのの着物の帯を解いたのでもうほとんど、おみのは長襦袢姿となっていたが、意外におみのの抗いは強いものであった。
  「いえいえ、お殿様、京は、貴方様に是非とも聞いていただきたいお話があるのでございます」
 そのいつにないおみのの真剣な口ぶりにさすがに兵庫もおやっと思って手を止めたのである。
 
  「その話と言うのは何だだね」
 そのように兵庫は改まった口調で言うとおみのも姿勢を正しながら兵庫の顔を正面からあ見つめると話を始めた。
  「お殿様、どうやら、出来たみたいなのです」
 おみのはそのように言いながらそっと自分の腹を撫でながらことさら小声で言ったのであ
2017/08/11 13:29:58(zyPov55t)
2
投稿者: (無名)
誤字が多いですね(-_-)
17/08/13 19:04 (Kbuumld7)
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