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真愛(読み物です。事実は、ありません)
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:ノンジャンル 官能小説   
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1:真愛(読み物です。事実は、ありません)
投稿者: 龍頭蛇尾
仕事が休みで、暇な事もあったが、借りてきた最新映画のDVDの返却日でもあった為もある。
帰りは、軽く一杯も久々にいいとも思って、これも。
久々に市営のバスに乗る。

私は、東京から新幹線で二時間程離れた山に囲まれた自然豊かな長野で、産まれ、育ち、現在に至っている。
片親(母子家庭)で育ち、儲からない旅行業を自営で営んでいる。

彼女は、勿論。
妻もいない。

仕事や、病弱で手の掛かる母の世話で、気が付くと今年で40である。
幸い、愛知に嫁いだ姉が二児の男子をもうけ、母も初孫を寵愛した。
その子らも、はや20を過ぎた。
何度か、見合いをしたりしてみたが、生活に追われていた私は、それこそ『形振りかまわず』にやってきたのだ。
現在の流行り歌も知らなければ、流行のファッションすら判らないのだ。
女性とは『無縁』であった。


バスを降り、商店街を行き借りていたDVDを返却し、少し商店街をぶらついた。
今日は、愛知の姉が、そんな私の姿に責任を感じたそうで、1ヶ月ではあるが、母を引き取りに来たのが先週である。
恋などしたことのない私に『お前に押し付けてばかりだったから。いい女性(ひと)でも見つかるといいわね』
このひと(姉)は、どこまでも自己中心的で、傲慢で。私は嫌い。なのだ。

結局の所、母の世話に充てていた時間だけが、ただの空白で…
正直、何していいのやら。
私も『彼女』が、欲しくない筈もないが。
「さて、どうしたものか…」口癖になりそうであった。

洋服をみたり、CDをみたり、本屋で雑誌を立ち読みしたり。
こう言う時の時間の流れは、極めて遅く、つまらない。
結局、やる事もなく、陽も高い内から空いてる居酒屋に入り、生中と焼き鳥を一皿、漬物を頼み、活況に溢れた店内で静かに味わった。
何れ母は戻ってくるのだし、余り無駄使いも出来ずに細やかな贅沢ではあった。

居酒屋を出たが、まだ、陽は高い。

駅前のスーパーで食材を買い、帰路についた。
バスに30分ほど揺られると我が家である。
いつも様に夕食の支度をして一人寂しく夕飯を採り、テレビをつけっぱなしで後片付けを済ます。

据え置きの電話がなり、翌週の予約を受ける。
その日は、早々と風呂に入り21:00には床に入った。
母が、姉に伴われ愛知に行って3週間が経ち、私も『特に』何する事なく、ただ日常を過ごした。

姉の安易かつ、優しさのなさに退屈な1ヶ月の中で、寂しさを味わったに過ぎず、嫌悪であった。

やがて、母も戻り。
今までの日常が戻ると、やはり、落ち着くのだ。
ややあって、
『弟に感謝も出来ない、不出来な娘』と、母が評した。
それは、それで、姉は姉なりに気を使ったんだよ。と、私が諭す。
『お前には、苦労ばかりで…。ろくに恋も出来ずに…。すまないね…。』
母は、強し。と、言うが…。
70も過ぎると弱気で、過去を振り返りがちになるものだ。

到底、姉にはわかるまい。

母にも愛知に行ってからと言うもの寂しさが取りついた様である。
事あるごとに
『早く、おばあさんの所へ行ってお前を楽にしたい。』
縁起でもない事を口にのぼせる様になった。
最近では、私が親を叱る事が増え、それも私は哀しいのだ。

外では、木々が茜や山吹に染め、空にはゆったりとイワシ雲が流れ。
何か、吹く風さえも身を枯らしてしまいそうな風が吹き始める10月。

そんな秋の朝。
この日は、久々に大口の仕事がはいり、デイリーケアに母を1日委託せざるを得なかった。
たまに、仕事が忙しい時などは、お願いしていたのでデイリーケアのスタッフも勝手を知っている。
母も馴染みがいるらしく、安心していて、全てを任せる。
だが、この日は何時もの人ではなく。
20代半ばの、私からみたら少女と30代の爽やかな青年が母を迎えにきた。
流石に私は、少し心配になり、母を見届けに出てきた。
以前に来ていた人はどうしたのか?訪ねると、若い女性の方が答えた。
『評判もよく、実力もある方ですので 出世され、現場を離れる事となりましたが、お話しは既に伺っております。ご安心して、お仕事に励まれて下さい。お任せ下さい。』
自信ある笑顔を母に向け、側でテキパキと働く男性も笑顔で額に汗をみせると、母も私に笑顔を見せた。
ここで、私も安心して母を見送った。
日帰りではあるが、30名若の大口をそつなくガイドし、帰宅する。
我が家の玄関を空けると、懐かしいような、今まで、忘れていたような…。
談笑が溢れる。
『だれだろう…。ただいま。』
自然、私も声に張りが出る。
一度、談笑が止み、奥の居間から若い女性の声で
『1日、お疲れ様でした。』と、現れたのは、今朝のデイリーケアの若い女性である。
夕方、17:30分。
私は、この若い女性は、母と打ち解けてくれたのだと直ぐにわかる。
『これはこれは、遅くまですいません。今日は助かりました。ありがとうございました。』
本音であった。
女性の笑顔に絶え間はない。そして、明るい。
『いえいえ。』
母が続く
『京子さんって言うのよ。今日は、とても良くして下さって。楽しかったわ』
京子さんも楽しげで、私も微笑ましかった。
京子さんも帰る時間だろうと
『遅くまで、すいません。ケアセンターまで送りましょう』と言うと
京子さんは、頭を振り
『私、これで明後日まで非番ですので、バスで駅まで…』
言い終えぬ間に母が口を挟む
『じゃ、駅まで息子に送らせましょう』
『そうですね。駅まで送りましょう』と、私も続くと京子さんは、申し訳なさそうに振り返り
『では、お言葉に甘えて…。』
京子さんの支度が終わり、私の車で駅まで送って、別れ際に京子さんが
『素敵な、お母様ですね。今日は、私の方が お世話になってしまって。送って下さってありがとうございました。』
『いえいえ。こちらこそ、ご苦労いただき。ありがとうございました。』
優しくて常識のある京子さんは、朝より。
素敵に見えた。
京子さんを駅で見送り、帰宅すると、母も京子さんが気に入ったらしく。
『京子さんが、貴方のお嫁さんなら、私も幸せだわ』しみじみと口にのぼせる母だった。
確かに。そうも漠然と思った。
翌日から。
母は、事あるごとに
『今日は、ケアさん呼ばないの?』
翌日も、その翌日も
繰り返された。が、私も稼ぎが少ない。
そうそう簡単に呼べないのだ。
外も、冷え込む日が増えて、朝にもなると霜が土を浮かべ。
吐く息も白い、11月である。
国内観光は、一番さむい時期である。

あまりに母が『京子さん』と、言うものだから…。
内心、私も何処か京子さんを気に入った節もあるだろう。
ケアセンターに向かった。
委託ではなく。
受け付けで京子さんの出勤を聞く。
午後から非番 との事。
京子さんが、終わる時間は僅かに20分前後。
ロビーで待たせて貰い、京子さんを頭で思い出していた。
やはり、京子さんが家に来た日は、母も明るく。
いつもより元気だった。
絶えない笑顔が、太陽みたいで。
きっかけは、そんなものだ。
私も、京子さんに逢いたいのだ。
何となく。だが、以前に増して、こうして京子さんの笑顔を頭に思い描く事が増えた私である。し、母が騒ぐのも手伝ってか?
日に日に増してく我が家の話題は京子さんである。
そんな、頭の中の京子さんをフッと吹き消して、耳に覚えのある声が入ってくる。
『御無沙汰してます。お母様は、元気でいらっしゃいますか?』
相も変わらず、笑顔の京子さんがいた。
私は、毎日の母の口上を伝える。
私の収入が少なく、デイリーケアを呼べない現状を包み隠さずに京子さんに話すと
『そんなに私の様な者を気に入って下さって、光栄です。良かった。』
偽りなく、京子さんも嬉しげであった。
『良かったら、仕事帰りなど時間ある時で構いませんので、母とお茶でも飲んでいってあげて下さいませんか?』
これも、私の本心だし優先であった。
『良かったら、今から、お伺いしても?』
京子さんは、察しもよい。
聞かずとも?なのだが、
『よろしいのですか?』
しか、私は言えなく
『是非是非』と笑顔の京子さんに私は、救われた。
ややあって、京子さんを連れて帰宅。
久々に我が家に笑い声が満ちて溢れた。
そんな事があって、以来。母には、娘より年下の孫とも言える友人が出来。
和やかで、楽しい日々が続いた。
私も、京子さんの優しくて柔らかい口調に癒されていた。
私は、仲の良い母と京子さんの姿に一旦の家族絵を重ね微笑んだ。
それは、母も同じだろう事は、わかった。

ある日、母は連日の寒波に体力を削がれ、寝込みがちで翌、年があけて入院となり、愛知から姉も駆けつけた。
肺炎であった。
姉は、全責任は私のせいにして憤慨して見せ、1日実家に泊まると翌朝には、愛知に戻ってしまった。
確かに、母の肺炎は私の不注意による所もあろうが…。
まあ、よい。
昔から、姉はそうなのだ。
京子さんも仕事の合間や帰宅前の僅かな時間を見ては、足繁く通ってくれ。
母を勇気づけてくれたものだが…。
ダメな時は、ダメなのだ…。
いつ書いたものなのか…?
一通の便箋を残して、母は優しい面持ちを残して冷たくなっていた。
享年72で、あった。
バタバタと母の葬儀が終わり、一人、2月も末の冷えた自宅に戻ると、なにもかもが殺風景で、居心地が悪い。
喪服の背広の胸ポケットに母の残した便箋を思いだし開く。
私に対しての詫びと姉に対して、私へ、もっと愛情を注いで欲しいと言う希望であった。
ここまで便箋は、二枚使われていた。
最後に一枚、別に折り閉じてあり
『京子さんへ』と、あったので京子さんに届けにケアセンターを私服に着替えて訪れ、会って渡せる事が出来た。
恐らく、京子さんに会えるのも理由がない為に最後だろうと思うと尚の事に私の胸は苦しいのだ。
多くを語れぬままにケアセンターを後にした。
別の意味で、京子さんに感謝し、お礼し切れない恩情を受けたのだ。
私が寄せる京子さんへの想いは、邪(よこしま)に思えた。
それに京子さんは、若い。私など。で、ある。

もう、来ないであろう。
ケアセンターを振り返らずに、たった一人の家に帰った。


つづく
 
2010/09/26 11:53:38(mRqVu6LU)
2
投稿者: かす
僕は この話 好きです 続き待ってます
10/09/26 13:31 (M/eSgPCs)
3
投稿者: 筆者
元々、京子さんとは縁がなかったと思い直し、一人の日常に慣れたのは、四十九日を終えて、暫く日にちも過ぎた頃だった。
間もなく、散った桜が葉を開き 温かくなってくる。
身を刺す寒風も、母の穏やかな寝顔も…
あの、暖かい太陽の様な笑顔も過去となり、先のない日常に私は埋もれた。
姉は、母の四十九日の直ぐ後に『痛み分け』に現れ、想いの母の遺品を持つと思い出に耽る様子もなく。
その日の内に、愛知にとって帰した。
以来、来る様子もない。

春も後半ののんびりした午後である。
思いもよらないし、予想だにしてなかったが、京子さんには理由があった。
黒い礼服で、肩まだあった髪も伸びたのだろう、後ろで整えて纏め、薄いメイクで慎ましく
『ごめんください。』
焼香に、来て下さった。
真意で私は、頭を垂れて
心から『母も喜びましょう。わざわざ、忙しい中、ありがとうございます』
こうした時、誰よりも故人を想う。
京子さんも、やはり、そうであって、亡き母に馳せて涙してくれたのが、嬉しくあった。
涙しない家族もあるというのに…。

必然であろうか…母の話題であり、母の残した便箋へと話しが移って行く。
京子さんに宛てた便箋の内容を私は知らないし、聞きもしなかった。
正に『知る由もない事』である。
京子さんは、小さな黒いハンドバッグから、あの、便箋を取りだし、私に何か求めるような目を向けてから、その便箋をテーブルに滑らせ、私によこした。
『読んでみてください。』私は、テーブルから京子さんに渡された便箋を拾い、便箋に目を落とした。
簡潔な内容であったが、母の切なる希望が、隠っていて京子さんも、急な内容に困惑したであろう。
『京子さんへ。
今まで、本当にありがとう。いつか、京子さんが息子の伴侶となり、二人の子を…孫を和が手に抱き、温もりを感じた夢を見ました。
京子さんの様なお嫁さんが息子にあったなら、私も息子も、もう少し幸せだったでしょう。
誠に、ありがとうございました。』
京子さんは、母の残した便箋を手に、夜な夜な涙したと言う。
なんとも言えず、私も瞼が閉じて目頭が熱くなっていた。
私よりも、母が一番苦しんでいたのは、私のわかったつもりだったと…。
誰が謂わずとも。
知れている。

全てを判然とさせる為もあっただろうし、母への親しみもあっただろう。
京子さんは、その理由で再び来訪したのだ。
京子さんに不自然な気持ちがあったかは、私の知る所ではないが。
京子さんは、我が家に来たのだ。
別に頼まれて親しくしていたと言われれば、元も子もない。
母が残した便箋があったからと言う理由でもよい。
とにかく、来なければそれでも誰も非難などしないであろう間柄に変わりない。
京子さんの優しさもあっただろう。

京子さんは、京子さんなりに母の便箋の意味を理解し、私に見せ、答えを求める。
私は、どうしたら良いのかは、解っている。が、それだけに釈然と答えられない。
『果たして、私をそんな風に見てくれるだろうか?』で、あるし『何も、こんなオジサン相手では、役不足であろう』
しかし、京子さんは、それらを呑み込み、私に母の便箋を見せたのだ。
私に答えを求める気がなければ、便箋を私に見せる必要ななく。
京子さん自身が心にしまっておけば、いいのだ。

母の便箋を目にし、京子さんの目の前で私は、返事を選び沈黙する。
『恋人。ずっといなかったって…お母様から、聞いた事がありました。私は、そんな貴方ですので、貴方の答えを待ちます。』
あまりの気遣いであった。
私は、返答出来ないまま

京子さんは、ゆっくり立ち上がると
『又、お伺いする理由も出来ましたので。今日は、これで…』
玄関まで、見送りに私が出て
『京子さん。今日は、ありがとうございました。すいません』
柔らかく微笑んで、深く、お辞儀して京子さんは、帰っていった。

まさか、こんな形で
京子さんを想う事になるとは思いもしなかったが、母にも京子さんにも感謝できた。
10/09/26 13:36 (mRqVu6LU)
4
投稿者: 筆者
エロでは、ないですが
ありがとうございます。
時間みて更新します。
10/09/26 13:57 (mRqVu6LU)
5
投稿者: 筆者
若い頃なれば『ずっと一緒にいたい』とか、そんな理由で十分だろうか?

全くと言えよう。
『恋』を知らない私が、恋の返答を迫られる。
ましてや、若い突破力や情熱なんてものも忘れ、日常に埋もれ、どこか朽ち果てるのを待っている風もある。
今にすれば、恋も恐く
どこか遠いテレビの中や小説の中に起こりうる事に思えていた。
正直、なんとも言い難く。辛い。
切ない。
苦しく。
思考を麻痺させ、脳が、ありとあらゆる隙間を縫い
『太陽の様な笑顔』の京子さんを記憶のままに映す。
私の意思に反して?なのか、知らぬ間に京子さんを脳裏に描いては消す。
私は明らかに、恋を知った。
尚更、人生の折り返し年齢で恋を知り、自分の心に不安も恐怖も覚えて京子さんに答えを告げる勇気を削がれ、月日だけが過ぎた。
そんな私を知ってか、知らずか?
私に答えを求めた日から、京子さんが、ちょくちょく現れ、拙い会話をし、私の行き場のない気持ちを和らげてくれる。
時には、食事の用意もしてくれ、京子さんが居る、又は来る日が日課になりつつあった。
つい、答えもだせずに甘んじてしまう。
しかし、彼女京子さんは咎めも答えを急く事もなく、甘えさせる。
母が、永遠になって。気付くと一年経ち、母の法要を済ませ、久々に知り合った頃の京子さんが変わらずの笑顔で浮かぶ。

決心し、帰宅すると京子さんが来てい、暖かいお茶を煎れてくれた。

いつもの私と違う表情を見つけたのだろう。
私が口を開く前に察して、テーブルを挟み、改まって正座をし、私の口から出る言葉を静かに待ってくれている。
あくまでも静かに自然であった。
『京子さん…。』
目の前に座る京子さんは、静かに瞼を閉じて
『…はい。』
『ご存知でしょうが、私は恋を知らぬままに、この歳になり、あなた京子に出逢った。』
一度、区切り、京子さんの煎れた、少し渋いお茶を飲み
『恋。を、知った。様々な不安があった。だけど、貴女のお陰で、それを貴女に告げる事ができます。ずっと、一緒にいてくれて幸せを感じた。京子さんを好きなのです。京子さんと、ずっと一緒に…幾つになっても、京子さんと一緒に いたい!』
ずっと胸につかえ、言えずにいた言葉を、今だからか?言えた。
ここまで、京子さんが描いただろうか?答えに真摯に答えた。
だが、京子さんは俯いて肩を震わせた。
やはり、答えは
『NO…』だろうか…
顔を静かに上げた京子さんの頬に涙が溢れ、いつもより眩しい笑顔で、涙を拭き拭き笑って。
一言。
『ありがとう。私、幸せです。ありがとう…ありがとう…ありがとう…』
止まらず、涙も止まらず
京子さんの感情も、止まらず…
泣き声になって更に涙も更に『ありがとう』を繰り返す。
見ていた私も、深い情に打たれて胸も瞼も熱くなり、二人で声をあげて泣きに泣いた。
いつしか、日も落ちて
気温がさがり、二人は顔を見合せ、付けた蛍光灯の下。
今度は、笑いに笑った。
泣いた後の二人の瞼は赤く腫れていた。


翌月、二人は籍を入れ
産婦人科にいくと『妊娠2ヶ月』を告げられ、桜並木をゆっくり進み、母の墓前に花を活けて
手を合わせた。

そっと、京子の口から
『お母様…ありがとう。京子は、とても、幸せです。…』

きっと、私に言ったんだろうと思った。


母に…
京子に…

そして、生まれくる子供に
私から
『ありがとう』


翌年、京子は女の子を産み、名前を
『真愛(まな)』と命名した。


(完)
10/09/26 15:11 (mRqVu6LU)
6
投稿者: かす
何時も 官能小説を 読み漁り 興奮していました たまにこういう秀作に巡り会うと 心が洗われます これからも期待しています ありがとうございました
10/09/28 06:11 (Wz4hNYOy)
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