「もうダメ、もうダメ」母の喘ぎ声に促されるように私も腰の動きが早まる
と同時に、頭の中は真っ白で思わず「逝くっ」と初めて母の中に出していま
した。
私のものの先に母の子宮の入り口でしょうか抽送するたびにコロコロしたも
のが当たる気持ち良さに耐えられませんでした。
終わって、そ~っと抜くと母のあそこから私の出した白いものが流れ落ちま
した。「お前もこれで本当の男になったね」母は私を初めて男にしてくれた
人でした。
47歳の母は、東北の田舎の同年代のおばちゃんに比べるとまだまだ若々しく
身体もいい身体(男から見て)をしていたと思います。
私が高校生になって兄は就職してからは、使われない部屋が多くなり、蔵座
敷に母と移りました。蔵座敷は冬温かく、夏は涼しく防音性がいいことで
す。蔵座敷の防音性のいいせいか、母の喘ぎ声は遠慮せず以前より大きく出
すようになりました。高校生の間中はそれまでに母との行為で覚えた体位を
駆使して、いつも母を逝かせられるようになっていました。先に逝くのはい
つも母です。私は意地悪く「まだダメだよ」とか、「どこがいいの?言って
みて」とか「お願いは?」とか母を辱しめることも覚えていました。母はそ
のたびに「恥ずかしくて言えない」と言いつつあそこを、より濡らしていま
した。
高校卒業と同時に遠方に就職することになった最後の夜は「これが最後かね
~、盆、暮れには必ず帰っておいで」と言って一晩中抱き合い体位を替え3
度もしました。
盆暮れに帰るたびに母と続きましたが、24歳で結婚する時は口には出しま
せんでしたが、私が彼女に取られるとでも思ったのでしょうか、猛烈に反対
され親子の縁を切るとまで言われましたが、なんとか説得し母とのことは終
わりにしました。
孫を抱いた母は家内に「夜の生活がなくなると夫婦は終わりだよ」なんて変
な知恵をつけて77歳で亡くなり一昨年、58歳で亡くなった兄に代わって23回
忌の法要をしながら母とのことを思いだしていました。
末っ子の私が一番可愛いかったのかもしれません。
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