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祖父と母親と俺

投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
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2017/02/11 19:54:45 (otcgqW6e)
もう20年ちょっと前になるか、俺がまだ小学校に上がりたてのガキだったころの話。

俺は現在は都内住みだが、故郷は「ど」が付くほど山奥の田舎で、実家の有る村は人口600人弱、200世帯有るか無いかのレベルだ。街灯も少なく夜は真っ暗で、隣の家まで50メートル以上は離れてる。

俺の爺ちゃんは当時60代半ば、同年代婆ちゃんは既に末期の糖尿病と認知症で特介の老人ホーム。爺ちゃんは専業農家で1人果樹園と田んぼを管理していた。

母はバツ2の41、パチンコ中毒のバカ男と離婚して実家に戻ったばかりだった。俺が小さかったこともあり、母は実家で専業主婦として家事や、たまに婆ちゃんのところへ行って世話をしたりと、実質的に爺ちゃんの収入で生活していた。

そんな生活が二年くらい続いた頃か、婆ちゃんが遂に糖尿病の合併症で逝ってしまった。家族は皆覚悟していたため、それほど重い空気にはならなかったが、亡くなってから数ヶ月経つと、やはり爺ちゃんは少し寂しそうだった。

ある日、俺が学校から帰ると母も爺ちゃんも家に居て、何故かやたらと機嫌がいい爺ちゃんが小遣いを千円くれて、遊びに行って来いと、俺をはやし立てる。

少し気味が悪いような気もしつつ、千円札の嬉しさに踊らされた俺は、チャリンコをすっ飛ばして遊びに出た。数時間後に何を見るかも知らずに。


つづく
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11
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/03/01 13:13:29    (.gslDKJ2)
俺が23~4の時、親戚連中から爺ちゃんを介護施設に入れる案が出て、周りの支援のもと爺ちゃんは施設に入り、家には俺と母だけになった。


もはや夫婦同然の生活、家に帰れば自分の女が飯を作って風呂を沸かして待っている。俺にとってまさに最高の生活がスタートした。


爺ちゃんが施設に入って、2人だけになった初日、あの日は今でも忘れない。おそらく後にも先にも、俺の最高記録だろう。無論、1日で母を抱いた回数のことだが…


施設での手続きや荷物を運び終え、親戚達も帰った後、俺は我慢の限界を超えて母を押し倒した。母ももちろん抵抗するどころか、待ち望んでいたかのようにズボンの上から俺のチンポをさすってきた。

母のズボンと下着を一気に脱がせ、濡れているかも確かめずに、破裂しそうなほどパンパンに勃起したチンポを押し込んだ。

心配するまでもなく母のマンコはねっとり濡れていて、一瞬で俺のチンポを根元まで呑み込んだ。そしてその時初めて、母は声を出して喘いだのだ。


初めて俺のチンポで喘ぐ母の声を聴いた俺は、更にチンポを硬く膨張させて思いっきり突きまくった。母はあっという間に絶頂したらしく、腹部をガクガクと振るわせながら泣きそうな顔でデカい声をあげて喘いでいる。

俺はたまらず母に覆い被さってキスをすると、母のマンコに思いっきり腰を押し付け、限界まで奥にチンポを押し込んで射精した。自分でも物凄い勢いで中に射精しているのが鮮明に感じ取れた。


だが全く興奮が治まらず、その時は萎えることもなかった為、人生で初めてそのまま抜かずに3回連続中出しを達成してしまった。母も流石に放心状態で、途中で逝きながら失禁したのか、布団に水をこぼしたようにビショビショだった。

抜かずの3発が終わってチンポを引き抜くと、ぱっくり開いたマンコから湯気が出ていて、ヒクヒクと動く度に奥から精子が流れ出てきた。


俺は放心状態の母の口元にチンポを差し出し、尿道に残った精子を吸い出させ、休憩しつつ再び勃起するまでしゃぶらせる。そして母のマンコを軽くティッシュで拭くと、そのまま俺が上になって69し始めた。


母のマンコを広げてクリを剥き、舌でグリグリとなぶったり、吸いながら舌で弾いたりすると、母はビクビク震えながら甘い声を出して、俺のチンポを夢中でしゃぶり続ける。

そのうち、俺も母のフェラに耐えきれず4回目の射精。母の口周りは唾液と俺の精子や我慢汁でドロドロだった。


その後も再勃起しては挿入、体位を何度も変え、逝っても何も出なくなるまで母を抱き続けた。気がつくと午後9時を回っていたので、7時間近くヤっていた事になる。無我夢中だったので回数だけが正確に覚えていないが、少なくとも8~10回くらいにはなると思われる。


次の日、母も俺も性器が痛かった記憶は良い思い出だ。


10
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/03/01 12:09:06    (.gslDKJ2)
俺は母を犯し、最高の女を手に入れた優越感でまさに有頂天だった。ズリネタだった母のマンコには中出しし放題、しかも決して俺を裏切らない。その日から俺のブレーキは吹き飛び、それまでは多い日で1日に3~4回ほど自分で扱いて射精していた精子を毎日毎日母のマンコに全て注ぎ込む生活が始まった。


予想外なことに、二回目からは母も全く抵抗せず、俺が言わずともフェラでチンポを立たせて滑りをよくすると、自らケツを向けて下着を下ろすようになった。


少し離れてはいるが、同じ家の中に爺ちゃんがいるので大きな声では鳴かないが、立ちバックで突いてやると抑えきれない小さな喘ぎ声を出す。


今でもよくやるが、俺は中に出す時、耳元で母に「そろそろイクぞ、どこに出せばいいか言えよ」と呟く。もちろん中に出すわけたが、あくまでも母自らに言わせ、母自身の意志で俺の精子を受け入れさせる。


抱く回数を重ねる毎に、母は俺の女になっていき、同じ布団で寝るようになった。まぁ、ほぼ毎日寝る前に抱くわけだから、効率的だったのは確かだが。
9
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/02/20 09:43:46    (qzP8CucY)
挿入した母の体内は想像を遥かに超えて熱く、亀頭に絶え間なく押し寄せる刺激に俺は無我夢中で母を突きまくった。母ものけぞって天井を仰ぎながら口をパクパクさせて必死で声を殺し快感に耐えているようだった。

初めて抱く女の体は、口では例えようもない程に気持ちよく、俺はあっという間に射精してしまった。当然中に出したが母は俺の射精が完全に終わるまで全く抵抗せず、俺は射精後もしばらく腰をゆっくり動かし、中に出した精子を奥へ奥へと押し入れ、母の首筋や耳を舐めながら縮みはじめたチンポを引き抜いた。

少し頭も冷えて冷静さは取り戻したが、母のマンコから俺の精子が垂れるのを目の当たりにした時、俺は満たされた支配欲に再度興奮状態に入り、母を振り向かせて強引にキスをした。

母は一瞬顔を背けたが、顔を掴んで口に舌を入れると、やはりすぐに抵抗をやめて俺の舌の動きに合わせて絡めだす。俺は母の胸を揉みながら、手首を掴んでチンポを扱くように誘導した。

射精したばかりで半立ち状態だったが、母の手コキされるうち、ものの数分でフル勃起に復活。俺が椅子に座ると母は何も言わずに上着を脱いで上半身裸になって跨がった。

いつも爺ちゃん相手に騎乗位で腰を振っていた為か、母は挿入も手慣れた様子で、波打つような動きで腰を振り始める。

時折、俺が乳首を噛んだりすると少し声を漏らし、緩急をつけながら母は俺の上で体をくねらせ続けた。

ほどなく、二度目の絶頂感が押し寄せ、俺は母の尻をガッチリ掴むと前後に激しく揺すって再び中に射精した。


8
投稿者:まだら   madara3
2017/02/13 10:49:43    (oL28OhZx)
いいですね。
情景が想像出来て興奮出来ます。
続きを楽しみにしています。
7
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/02/12 10:31:55    (wSC1wqNa)
ある日、夜9時過ぎに俺がバイトから帰り玄関を開けると、ちょうど母が爺ちゃんの寝室の方から歩いて来た。

母は俺と目が合うと、ほんの少し気まずそうに苦笑いをしながら「おかえり」と一言発して台所へと入って行った。

俺の中で何かが切れて、そのまま母を追うように台所へと入り、壁に母を押し付けて羽交い締めにした。

驚き抵抗する母に構うことなく、下着に手を入れて母のマンコを触ると案の定ビチョビチョに濡れていた。ついさっきまで爺ちゃんのチンポをしゃぶりながら指で弄ばれていたのだろう。

俺は容赦なく指を二本ねじ込んで、母を一層強く押さえつける。すると母は膝を曲げ腰を引くように体勢を崩した。

床に座り込みそうになる母を強引に持ち上げ、自分の足で立つように促すと、マンコの中の指を曲げ伸ばしするようにかき回す。母は力では敵わないことを察してか、抵抗するのをやめてガクガクと体を震わせ始めた。

声はまだ押し殺す余裕があったようで、吐息のみの荒い息づかいのような喘ぎ声を出しながら、俺に身を任せていた。おそらくこの時の母は、少しの間触らせてあげれば満足して、また口で抜けばいいと思っていたのだろうが…。

マンコからワザといやらしい音を立てるようにかき回し、母の首もとに吸い付きながら俺は母が弱っていくのを待っていた。そして母が再び膝から崩れ落ちそうになるのを見逃さず、壁に押し付けて身動き出来ないようにすると、ガチガチのチンポを手早く取り出し、母のズボンと下着をまとめてずり下げた。


母はこの後の流れを悟ったのか、一瞬力を入れて抵抗しようとしたが、すぐに観念して俺の顔を見ながら足を少し開く。

何とも例え難い征服感、目の前には俺が好きに犯してもいい女が、それも我慢に我慢を重ねた母のマンコがあるのだから、俺は迷うことなく母のマンコへとチンポを当てがった。

少しもたつきつつも、ドロドロに溶けた母のマンコにヌプっと生チンポが呑み込まれ、俺も母もガクガクと体を震わせた。


つづく


6
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/02/12 06:39:20    (wSC1wqNa)
中2から母に抜いてもらっていた俺だが、自分でするのと、人にしてもらうのとではまるで違う。ただでさえオナネタだった母にチンポを握られると、たちまちフル勃起し、フェラに移行すれば3分ともたない。それでもやはり若さ故か、盛りのついた猿のように毎日、多い日には1日に4~5回は母の口や顔に出しただろうか。


中学、高校と母に数え切れないほど射精したが、高校卒業間近になっても童貞。母には何度も挿入を要求したが母は頑なに断り続け、そのくせ爺ちゃんのチンポは相変わらず受け入れていたようだった。


そして高校を卒業し、バイトをしながら何となく良い就職先がないか探す日々が1年ほど続いた頃、爺ちゃんはついに殆ど寝たきりになった。

その頃から爺ちゃんと母のセックスは極端に減り、母はたまにフェラを要求されるだけになっていたようだ。


俺の中にある感情が芽生える…。「母を自分の女にしたい」「寝たきりの爺ちゃんから奪いたい」…と。

その時期から、母にフェラされる度にその感情は強く耐え難いものに変わっていった。


つづく
5
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/02/11 22:03:27    (otcgqW6e)
2人のセックスを覗き、それをネタに抜く俺だったが、やはり年月を経る毎に女の体への興味が高まっていく。

特に母のいやらしく溶けたようなマンコを思い出し、挿入した時の感触を想像しては、1日に何度も何度も抜いていた。

目の前にマンコがあるのに手が届かないイライラも最高潮にたっしたある日、俺は母と2人きりの時に質問をぶつけてみた。

「一昨日爺ちゃんの部屋で何か声聞こえたけど何してたの?」と……

母の表情と顔色が明らかに変わり、引きつった作り笑いでごまかしているようだった。

俺は多くを語らず、「つか、ぶっちゃけ知ってっけどな…」と無表情で呟きその場を後にした。そのとき母は何も言葉を発しなかったが、後に「途轍もない罪悪感に襲われて心臓が止まりそうだった」と俺に打ち明けた。


その日の晩飯を済ませた俺が部屋に戻ると、就寝前に母が来て、爺ちゃんとの関係に至った経緯を話し始めた。やはりと言うべきか、原因は婆ちゃんの死だったようで、爺ちゃん自身周りには隠していたものの、その寂しさに耐えきれず母を押し倒したのだそうだ。


それを受け入れる母も母だが、今更どうしようもないし、大事なネタが無くなるのも困るので、俺は容認することにした。

ただし、これまでと変わった事もある。それは俺が覗きを止める代わりに、母が俺の処理を手伝うこと。マンコは入れさせて貰えなかったが、以後、手と口で抜いてくれるようになった。




4
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/02/11 21:33:55    (otcgqW6e)
小学生にして生のセックス、それも爺ちゃんと母のセックスを目の当たりにしてしまった俺だが、当時は興奮というよりも「見てはいけないもの」とか、「見つかったら物凄く怒られるんじゃないか」とかの感覚の方が強かった。

何せ俺には父親もいなかったし、まだ勃起も射精もしたことなかったわけだから無理もない。ただ何となく、爺ちゃんと母がやっていることは「いけない事」・「いやらしい事」だと雰囲気で理解はしていたと思う。

その証拠に、爺ちゃんのチンポが引き抜かれた後に母のマンコから精子が垂れた映像が目に焼き付いていたし。


それから俺は度々、小屋で2人のセックスを盗み聞きするようになった。小学校高学年にもなると勃起はするようになったが、オナニーの仕方はまだ知らなかったので、ただただ観たり聴いたりするだけ。

だが、俺が中学に上がって間もなく、幸か不幸か事態は急変する。冬場は定期的に屋根の雪降ろしをしないといけないんだが、ある日爺ちゃんがいつものように雪降ろしの作業中、足を滑らせて二階から転落したのだ。

雪の上に落ちたとは言え、足と腰を骨折する重傷。歳も歳だったので、リハビリ後も杖を突いてやっと歩けるくらいの体になってしまった。母は親戚と共に果樹園と田んぼの管理をしながら爺ちゃんの介助を始めたのだった。

小屋ですることが出来なくなってしまった2人は、俺の目を盗んで爺ちゃんの部屋でセックスするようになり、俺も度々、母が爺ちゃんのチンポを舐める姿や、爺ちゃんの上で腰を振る姿を覗かせてもらった。


中2にもなると流石にオナニーの仕方も覚えて射精の気持ち良さに味を占めた俺のネタは、爺ちゃんと母のセックスだったのだが、この頃から俺の性の対象は年上の女、もしくは母だったのかもしれない。



3
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/02/11 20:48:21    (otcgqW6e)
階段の下で頭が真っ白になり、どうしていいかもわからず固まる俺だが、そんな俺に反して二階の声と物音は激しさを増していくようだった。

緊張で口の中がカラカラになり、息を殺しながら辛うじて呼吸をしていた俺は、無い唾を空気と一緒に飲み込み、ゆっくりと後ずさりして小屋を出た。


その2、30分後だろうか、祖父と母が玄関から入ってくると、俺が帰っていたことに少し驚きつつも、2人ともいつも通りに振る舞っていた。2人にバレていないことを確信した俺はホッと胸をなで下ろす。

それから数日経った日曜の昼過ぎ、俺は友達と川遊びを終えて、着替えと軽く小腹を満たす為に一旦家へと帰った。その時もやはり母と爺ちゃんは居なかったが、着替え終わった俺は数日前の真相を確かめようと、小屋へと向かった。

小屋の扉を開けると、二階からまたあの物音が。そして物音の主は爺ちゃんと母以外に考えられなかった。俺は息を殺して階段を這うように一段一段登っていく…

階段の一番上、二階の床からゆっっっくりと顔を出すと、そこには肌の爺ちゃんと母の繋がった後ろ姿が。

見たことも無い形に膨張した大人のチンポが、母の割れ目に突き入れられ、汗だくの爺ちゃんが腰を叩きつける度に母は声をあげて喜んでいた。


しばらく釘付けになっていると、爺ちゃんは呻き声のような声を出して激しく腰を叩きつけた。俺が観た人生初の射精だ。まだ膨張したままのチンポが引き抜かれると、白い液体がヒクついた割れ目からドロ…っと垂れ出した。


俺は我に帰り、音を消して階段を降りると、逃げるように再び友達の元へ出て行った。
2
投稿者:ソーマ ◆91OPD0UQt6
2017/02/11 20:15:35    (otcgqW6e)
俺は友達と合流すると小遣いを見せびらかし、駄菓子屋へと友達を手下のように引き連れ、鼻高々に菓子やジュースを奢ってやった。

そのまま友達の家に上がり込み、奢った見返りにゲームをやりまくり、飽きると外で遊び、日が暮れそうになったので家へと帰ることにした。

お腹を空かせた俺は小走りで家へと向かったが、おかしなことに、灯りは消えていた。疑問に思いつつ玄関を開けて家に入るが、やはり誰もいない。仕方なく灯りを点けて冷蔵庫から飲み物を出して母達の帰りを待つことにした。

テレビも点けずにマンガを読んでいると、農機具用の小屋から微かに物音が…。ガキの俺にはかなりの恐怖だったが、心臓バクバク状態で小屋へと忍び足で近づいていった。

すると、コンクリートブロック製の小屋の二階に豆電球ほどの明るさだが、電気が点いていた。爺ちゃんが作業でもしているのかと思い、小屋の扉を開けて階段の手前まで近づいた。

その時、男のと思しき荒い息遣いと、女の喘ぐ声を聴いてしまったのだ。俺の心臓の鼓動は先ほどまでの恐怖とは別の理由で更に速さを増した。



つづく


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