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高校教師の母

投稿者:タクヤ ◆RJQMbC.Bjk
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2017/02/22 16:49:08 (zrYb1AYc)
今から3年ぐらい前の話になりますが、
僕の母は現在45歳で高校の教師をやっていて
僕が中学生の頃から友達からは「お前のお母さん綺麗だな」と言われるほど自慢の母で身長が148pで小柄なせいか実年齢より若く見られて顔は芸能人だと浅香唯に似て可愛いですが若干ポッチャリタイプなので小柄な割には胸やお尻が大きくて薄着になると特に胸の大きさが目立ち母と一緒に歩いていると男の視線が母の胸を見てるのがハッキリとわかることがあり母と一緒に歩くのが恥ずかしくなる時があります。高校教師をやっている母は美人で性格も穏やかで優しいせいか元々生徒から人気があったようなんですが、母の勤めていた高校は地元では評判の悪い高校で中学生の時にあまり勉強をしなかった僕は母が高校教師をして勤めている同じ高校に入学することになりました。
そして僕は高校でサッカー部に入部しましたが入部しすぐに僕は先輩や同級生からいじめにあうようになり最初は家で用意した水筒にお茶を凍らせて持ってくるよう命令されたり更にお菓子を持ってくるように命令されたり先輩からの命令は段々エスカレートし1番怖かった先輩からはお金を持ってこいと言われました。最初は母からお小遣いを貰ったり自分の貯金をおろしたりして先輩にお金を持っていきましたが、すぐに貯金もなくなってしまい母から小遣いも貰えなくなり先輩にお金を持っていけなくなりました。
僕は仕方なく先輩に「すいません、家にはもうお金がありません」と言って泣きながら先輩に土下座をしてあやまりました。
すると先輩がしばらく考え込み「じゃあお金の代わりに竹O先生のブラジャーとパンティを持ってこい」と先輩に言われました。先輩は僕の母親が同じ高校の教師の竹O先生だと知っていたみたいで、僕は先輩の命令を断ることもできず家に帰ると母の部屋のタンスをあさりブラジャーとパンティを先輩に持っていきました。
先輩は嬉しそうな顔で「サンキュー」と言ってすぐに母のブラジャーとパンティをポケットにしまいました。
そしてサッカー部の中で噂が広まり他の先輩や同級生からも竹O先生の下着を持ってこいと命令され僕は他の先輩や同級生にも母さんの下着を持っていきました。
そして先輩や同級生から「竹O先生のおっぱい凄いな」
「昨日竹パイで3回抜いた」「竹O先生を犯したい」
「竹Oのケツにぶち込みたい」とからかわれ
最初は母を馬鹿にされて母がかわいそうになり悔しくて仕方ありませんでしたが、そのうち同級生や先輩達が僕の母さんを性的な目で見てることで僕自身もムラムラするようになり、1番身近な僕が母さんのことを性的な対象として見るようになっていました。
そして、あの日の放課後にいつものように先輩の教室に水筒に入れたお茶を持って行くと教室の方から
「キャァー、エッチ」と言う女性の悲鳴がして
更に教室に近づくと「なにすんのよ」「やめなさい」と言う母さんの声が聞こえて教室の中を見ると先輩達8人ぐらいが母さんを取り囲み先輩が母さんのスカートを捲り上げ太腿やお尻を触っていて、僕は母を助けなければと思う反面に花柄のパンティと真っ白な太腿が露わになった母さんの姿を見て、僕は不覚にも勃起してしまいその場に立ち尽くしてしまいました。
そして先輩達の行為は更にエスカレートして
「先生おっぱいデカイな」と言って
後ろから母さんの胸を鷲掴みにしたり
「竹パイ見せろや」と言って
母さんのブラウスを引き裂いて胸を触ったり
「でかいケツしてるな」と言って
母さんのお尻を何度も叩いたり
「竹O先生、かわいいね」と言って
母さんに抱きつき顔や胸にキスをしたり
先輩達は小柄な母さんに対して、まるで小学生の女の子をからかうかのように屈辱しました。
そして母さんは「キャァー」「やめなさい」と悲鳴を上げてブラウスやスカートを押さえながら必死で抵抗していましたが、教室のドアの間から僕と目が合ってしまい一瞬僕と母さんの間に気まづい空気が流れました。
そして母さんは「タクヤ助けてえ」と言って僕に助けを求めてきましたが、僕は先輩達が怖くてどうすることもできませんでした。
そして先輩が僕が見ていることに気づき
「おい、タクヤ」と言って先輩が僕を呼びました。
僕が教室の中に入ると先輩は僕の股間を指差し
「お前、勃起してんだろう」と言ってきました。
僕は「勃起なんかしてません」と言って否定しましたが
僕は午後の部活に備えてジャージ姿だったので僕のジャージの股間部分は明らかに膨らんでいて勃起しているのが丸わかりでした。
すると、その様子を見ていた母はとうとう泣きだしてしまいました。そして泣いてる母を見た先輩は
「泣くなよ先生」と言って先輩達は教室から出て行きました。
そして教室の中は僕と母の二人っきりになり気まづい雰囲気になり、しばらく母は下を向いてしゃがみ込んだまま動けずにいて母のブラウスの隙間からは花柄のブラジャーとふくよかな胸の谷間が丸見えで僕は呆然と母の乱れた着衣姿を見つめて無意識のうちに息が荒くなり興奮していました。
そして興奮した僕は母のすぐ側に近づき母の頭を撫ぜて乱れた着衣姿を見ていると、母が僕の荒くなった息使いに気づいて泣きながらブラウスのボタンを留めはじめましたが、先輩から乱暴に引き裂かれた母のブラウスのボタンは3個ぐらい取れてしまっていて相変わらず母の胸の谷間が丸見えで、僕が母のすぐ側で胸の谷間を見つめて益々息が荒くなっていると、僕の視線に気づいた母は一生懸命に手でブラウスを押さえて大きい胸を隠そうとしました。
そして、そんな母に僕は益々興奮してしまい
「お母さん、おっぱい大きいね」と言うと
無意識のうちに母に覆い被さり母の大きい胸を触っていました。母は「やめてえ、タクヤ」と言って泣きながら抵抗しましたが、僕は片手で母の腕を床に押さえ付けてもう片方の手で母の胸を揉みしだきました。母の胸は想像以上に大きくて柔らかく僕の興奮は頂点に達しズボンの中で射精しました。そして興奮した僕は母のスカートを捲りましたが、母は必死で抵抗をして僕の手を振りほどき泣きながら教室から出ていきました。

あの日以来、僕と母のギクシャクした関係が続いており
勿論今でも母さんは僕の最高の性の捌け口です。


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鬼畜

投稿者:友樹
削除依頼
2017/02/21 19:34:54 (iUJ5aSEj)
ここに多く投稿されているようなケースとは違い、私の場合母とのことは私自身の鬼畜ぶりを思い出すような辛い思い出。
元々私の家はとても仲の良い家族だった。
物静かで優しい父、私が子供の頃のあべ静江に似た美しい母、旅行も買い物も3人で出かけ、夕食も必ずと言っていいほど3人で食べるような家だった。
そんな幸せに満ちた家族が突然崩壊したのは、私が高校へ進学してすぐの頃だった。
原因は母の不貞、ある日突然母が離婚を切り出して家を出て行った。
まるで砂で作ったお城が波に洗われて一瞬にして崩れ去った、そんな感じだった。

父は生真面目な公務員、息子の私から見ても真面目で優しいが迫力とか面白みのない男だとは思うが、母はそんな父に物足りなさを感じていたのだろうか、私たちの知らないところで周到に準備して出て行ったようだ。
あまりにも突然だったので、私はどちらに付いて行くか選ぶことさえできず父のところに残るしかなかったが、母に私を連れて行く気は無かったろうし、私は私で大好きだった母が不貞をはたらいていたことがどうしても許せなかったから、もしも選べたとしても父のところに残ったと思う。

母が去ったあとの2年間、私は私が持っていた母や家庭と言うものの価値観や思い入れが完全に壊されて自暴自棄になった。
母、お母さんと言う言葉や、母と同じ「ゆうこ」と言う名前を見聞きするのも辛かった。
せっかく進学校に入学したというのに、地元の悪い仲間とつるんではタバコを吸ったり酒を飲んだり、父の財布から金をくすねて女遊びをしたこともあった。
しかし根は小心者だから、2年の終わりに親子で学校に呼び出されて「このままだと大学進学どころか3年への進級も難しい」と担任の教師から言われると、自分自身でもマズイと思い悪さをやめて勉強し、なんとか2流の私立大学に入ることができた。
私が合格の報告をした際には、ほとんどの教師が「あの不良が?」と驚いたそうだ。

あれは13年ほど前、私が20歳になってすぐ、父と二人の生活も落ち着いて、女手がなくても不自由を感じなくなった頃に、母が突然私の携帯に連絡してきた。
母が出て行った当時、私はまだ携帯を持っていなかったのにどこでどう調べたのかわからないが、何の前触れもなく突然電話してきた。
声を聴いた瞬間母であることが分かったので、何度かは何も言わずに切ったが、何度目だったか「切らないで!」と言う声が聞こえたので話すことにした。
私は適当に話してすぐに切ろうとしたが、私が20才になったのをどうしても会ってお祝いしたいと言って聞かなかった。

私は「そんなことしてほしくない」と言ったが、母が泣きながら何度も言ったので、とうとう会う約束をしてしまった。
会うからには母がいなくなってからの鬱憤を、思う存分ぶちまけてやろうと思った。
母は東京にいないのか、後日会う場所として新宿の高層ホテルを指定してきた。
ちょうど夏休み中だったが、約束の日が近づくにつれどんどん憂鬱になった。
当日の朝も「行こうか、やっぱり行かないでおこうか」と悩んだが、ドタキャンして逃げたと思われるのも嫌だったので、重い足で母の待つホテルに向かった。
ホテルまでは自宅から電車で40分くらいの道のりだが、その日は気が重かったせいか何時間もかかった気がした。

駅からホテルのシャトルバスに乗ったが、他の乗客や景色など、何も目に入らないほど緊張していた。
ホテルには夕方4時半頃着いたが、母の待つ部屋までエレベーターに乗ると、階が一つ上がるたびに心臓の鼓動が速まっていくような気がした。
母が待つ部屋のあるフロアーに着くと、私の緊張と憤りの混ざったような気分は頂点に達していた。
震える指で母の部屋のベルを押したが、恐らくベルを押してから母がドアを開けるまで10秒もかかってないはずなのに、何分もかかったように感じるほどだった。

「友樹…」、母は私の名前を口にしたあと言葉に詰まったようだった。
部屋に入ることもできずにドアの前で突っ立っていた私に、我に返った母が「遅いから来てくれないかと思った。さあ入って…」と言って私を部屋に招き入れた。
窓からの眺めが素晴らしい広い部屋だったが、母を見た瞬間驚きと違和感を感じた。
家にいた頃の母はすっぴんか薄化粧で、洋服も地味なものや清楚な感じのものを好んで着ていたが、この時の母は洋服こそそれほど派手なものではなかったが、少し染めているらしい派手な髪形に濃い目の化粧をして香水の匂いをぷんぷんさせていた。
あまりのギャップに私には、そこにいるのは母ではなく、母によく似た下品な中年女としか映らなかった。
しかし逆に目の前の母を「母によく似た下品な女」と思うことで、私の気も少しは楽になった。

「○○大学だって?こんなに立派になって…」、母はドアが閉まるとそう言って私を抱きしめたが、私は「はなせよ!香水臭い」と言って突き放した。
母は一瞬悲しそうな眼をしたが、すぐに笑顔を作って私に座るように言った。
そのあと3時間ほど面と向かって話をしたが、私は上の空と言うか、上っ面だけの反省の言葉や私に対する大袈裟な愛情表現が鼻について聞く気にならず、覚えていることと言えば、家を出るきっかけになった相手とはすぐに別れた、と言うか捨てられたということくらい。
どこで何をしているのか聞いたが、東北の方で仕事しながら過ごしているというだけで、具体的な場所や仕事については一切言わない母をぼんやりと見ていた。

窓の外がだんだん暗くなり夜景がきれいになった頃、母が「そろそろ夕食にしましょう。友樹は中華が好きだったから予約しておいたの。」と言って私をホテルのレストランに連れて行った。
さすがにホテルの中華だけあって豪華な料理が並んだが、何を食べても味がわからなかったし、その場いることが苦痛にさえ感じた。
会話がほとんどない食事を終えて私は家に帰ろうとしたが、母がもう少し一緒にいたい、もっと話をしたい」と、私の腕に縋りついて言ったので、こうなったら私も腹にたまった鬱憤をぶちまけてやろうと母の部屋に向かった。

私は母が出て行ってから味わった孤独や苦労、荒れていた時期のことなど、父にも言わなかったことを母に向かって次々とぶちまけた。
私も興奮して涙を目にためながら、ついつい声高になったが、母は私の言葉をじっと聞いて涙を流した。
私が言いたいことを言って一旦落ち着くと、母はその場の空気を変えようとしたのか、ルームサービスでスパークリングワインと簡単なオードヴルを注文した。
届いたスパークリングを飲みながら少し話をしたが、どんな内容の話したのかはほとんど覚えていない。

元々アルコールがそれほど飲めたわけでもないのに、興奮していたからか一本を大半を私一人で飲んでしまい、落ち着いて興奮が冷めかけてくると急に酔いが回ってしまった。
それでも意識ははっきりしていたので、23時を回ったころに帰ろうとすると、母が一緒に泊まってくれと言ってきかなかった。
「今晩だけ昔の親子の時のように戻ってほしい」と言うことだった。
虫の良すぎる話だと思ったが、変に酔いがさめてだるい感じだったので泊まることにした。
母は私が止まることを想定していたようで、タオル類やバスローヴ、アメニティも二人分用意されていたが、ベッドは身長が180ある私が横向きに寝れるほど幅の広いWベッドが一つだけしかなかった。

私が泊まることを告げると、母がお願いついでにもう一つとと言って「一緒にお風呂に入りたい」と言った。
私はさすがにそれは嫌だと言ったが、「どれくらい大きくなったか見たい」、「最後のお願いだから」と言うので、仕方なく了解した。
母が私の返事を聞いて嬉しそうに風呂の支度を始めたのを、私は酔っていたこともあるが、ただぼうっと眺めていた。
高そうな部屋だから風呂も少しは大きいんだろうが、ホテルの風呂なんて家庭の風呂と大して変わらない、そんなところに大人二人で入れるのか?などと考えていると、母が用意ができたと声をかけてきた。

いざ入ろうかとすると、やはり抵抗があったが「母ではなく母に似た下品な女」と思うことで、自分の気持ちに折り合いをつけた。
トランクス一枚になってバスルームに行くと、そこには髪を束ねて化粧を落とした昔と変わらない母がいた。
「母に似た下品な女」と思うことで気持ちに折り合いをつけたはずなのに、目の前の「母」を見て、とても複雑な気持ちに襲われた。
その複雑な気持ちを打ち消すために、私は頭の中で「母ではなく母に似ているだけ、こんな女が母のはずない」と自分に言い聞かせた。
入浴中、私は終始無言だったが、母はおそらく10年ぶりくらいの親子の入浴が嬉しかったらしく、私の背中を流しながら抱き着いてきて「大きくなった」と言って喜んでいた。

風呂から上がって体を拭いていると、母が全裸のまま「もう香水臭くないでしょう」と言って全裸の私に抱き着いてきた。
その時私の中で何かが音を立てて崩れた。
今となっては自分でも全く理解できないことだが、母に対して瞬間的に女を強く感じてしまった。
もちろん母は女としではなく母親の愛情で私をじっと抱きしめていたのだろうが、私は激しく興奮してしまい、母の腹の辺に密着していたペニスがみるみる間に勃起して母の腹に突き刺さるようになってしまった。

母はすぐに気付いて体を離したが明らかに困惑と動揺を隠せない表情を浮かべ、体を拭き終わると、まるで私から逃げるようにバスルームから出て行った。
もしかしたら母が普通に出ていけば何も起こらなかったかもしれないが、その時の私は「息子の私からまた逃げた」と受け取ってしまい、母に対する怒りがこみ上げた。
私はすぐに母を追って出ると「なんで逃げるんだ!」と言いながらベッドに組み伏せた。
もう自分が自分でなかった、「やっぱりこの女は母なんかじゃない」と言う気持ちがこみ上げてきて、気付いた時には母の上にのしかかっていた。

母もさすがに危険だと思ったのか、「友樹、乱暴はやめて、許して…」怖いものでも見るような眼で私の顔を見ながら言った。
私はその時の母の表情がたまらなく憎らしく感じて、「こんな女母じゃない、むちゃくちゃにしてやる」そう思った。
母は犯されるのではなく殴られると思ったのか、咄嗟に腕で頭を庇ったので首から下はノーガードだ。
私がすぐに母の乳房を鷲暖みしてしゃぶりつくと、母は私が殴る蹴るではなく自分を犯すのだということに気付いたようだった。
私は激しく抵抗されると思ったが、予想に反して母は一切抵抗しなかった。 
自分から積極的になるようなこともなかったが、無反応と言うか、体から力を抜いて私のしたいようにさせた。

私は怒りと恨みに歪んだ欲望が混ざって訳の分からない気持ちで母の体を弄んだ。
罵声を浴びせたり命令したり、思いつく限り母を凌辱した。
自分の腹を痛めて生み、約5年の間離れていたとはいえ15年もの間愛情を注いで育てた息子に凌辱され、苦痛だけではなく望まぬ快感を与え続けられる、46才の母にとっては肉体的にも精神的にも生き地獄のような一夜だったろう。
母は私の吐いた言葉に涙を流したり、痛いと小さな悲鳴を上げることはあったが、反論することはなかった。
また、無茶苦茶なことを命令しても素直に従うだけで、拒んだりすることもなかった。
私の欲望の赴くまま、それこそ一晩中母を犯しいたぶったが、母は最後まで涙を流しながら耐えていた。

どんなことをした、させたのか具体的なことを書くのは気が重いが、私自身の鬼畜ぶりを懺悔する意味で書く。
当時20才だった私の性知識の未熟さもあったが、それ以前に愛する相手を感じさせてあげようと言うつもりなど全くなく、ただ単純に私を捨てた母に対する恨みつらみをぶつけたい一心だった、つまりは復讐だ。
だからどうしても胸を揉むのも乳首を吸うのも荒っぽくなる、当然胸や乳首だけではなく、もっと敏感でデリケートなワギナに対しても同じように扱った。
指を無理やり突っ込んで力任せに掻き回したり、クンニリングスしながらクリトリスを噛んだりした。

母にはフェラチオはもちろん、尻の穴や足の指一本一本まで「お前が産んだ子だろ」と言って無理やりさせて、上手くできなかったりあまり気持ちよくなかったりすると、叩いたり蹴ったりして「もっと気持ちよくやれよ」と命令した。
母は黙って言われた通りにした。
丁寧でありながら絶妙の舌使いでペニスや玉、尻の穴、手足の指、私の体の裏表を余すところがないほど、例えるなら母猫や母犬が産まれたばかりの子の体を舐めてきれいにしてあげるように愛撫していた。
もしかしたら、母は本当にそういう気持ちで私の体を愛撫していたのかもしれないが、私はそんな母に苦痛を与えることしかしなかった。
この夜、多分5〜6回ほど交わったと記憶しているが、毎回全部母の中で射精した。
一回射精するとちょっとインターバルを取ったあと母に口で体中を愛撫させて勃起させる、そしてまた挿入、射精するということを繰り返した。
母が妊娠しようがどうなろうが、そんなことは私の頭になく、私を捨てて出て行った母を汚してやろう、無茶苦茶にしてやろうという思いだけだった。

カーテンの隙間から外の日差しが入り始めた頃、疲れ果ててうつぶせになっていた母を見て私はパウダールームに向かった。
そこに置いてあったアメニティの中から乳液を取ってベッドに戻った。
一晩中攻め立てられ呆然としていた母を四つん這いにすると、尻の溝に沿って乳液を垂らした。
多分冷たく感じたんだろう、母は「ひっ!」と言う声を上げたが、私は構わずにたっぷりと垂らしながら、下に流れ落ちる乳液をもう片方の手で受けた。
手に溜まった乳液を指にすり込むと、その指を母のアナルに差し込んだ。

この時初めて母が「いやっ!やめて!」と言ったが、私は構わずに指をグリグリ動かしてアナルを広げた。
同時に開いていた方の指をワギナに
少し緩んだところで指の本数を増やして円を描くように捏ね繰り回したりピストンさせているうちにかなり緩んできた。
私はペニスに乳液をたっぷり塗ると、そのまま母のアナルに根元まで突っ込んだ。
私がピストンしている間中、母は苦しそうに呻いていた。
全てが終わった後、私はシャワーを浴びて帰宅するときに母に「帰るから」と声をかけた。
母は精も根も尽き果てて声も出ないといった様子で、ベッドに転がったまま呆然とした表情で私を見ただけだった。

その1年後と2年後の同じ時期に母が会いたいと言うので会ったが、私は同じように一晩中母を凌辱した。
それきり母は連絡をよこさなくなったが、私は誰かと再婚でもしてどこかで生きているんだろうとしか思っていなかった。
最後に会った時に母は49才だったはずだから、どこかの後妻にでも入っているんだろうと思った。

あれは母と最後に会ってから6年ほど経った頃に母方の叔父(母の弟)から私のところへ連絡があった。
母が亡くなったという知らせだった。
くも膜下出血で、亡くなってから3日間後に出勤して来ないのを心配した店の人に発見されたそうだ。
父には申し訳ないが、私はたった一人の息子だから葬儀に来てほしいとのことだった。
私は心の中に物凄く疚しい思いを抱きながら母の実家のある静岡に通夜と葬儀に参列し、最後は骨を拾った。
葬儀から2週間ほど経った頃、叔父が私に話しておかなければならないことがあると言って上京してきた。

もちろん父は抜きで叔父と会った。
叔父から聞いた話だが、母は離婚後仙台に行ったが、そこで不倫相手に捨てられて、その後4年ほど福島県のいわきでスナックをやっていた。
ちょうどその頃に私に会ったと言ことになるが、母は叔父に「私と会えて、一緒にご飯食べたりお風呂に入って、すごく楽しかっ」たと言っていたとのこと。
その後2年間、母は私と年に一度会うたびに、叔父に「1年経ったら、また立派になってた」と、私の自慢をしていたらしい。
いわきの母の店はけっこう流行っていたらしいが、突然店を譲って小田原に移り住んだ。

理由は母方の祖父が具合悪くなったのと、私との中間点が小田原だったから。
叔父は母が小田原で何をしているのか知らなかったとのことだが、亡くなってから川崎のソープで働いていたことを知りショックを受けたそうだ。
叔父には「来年は友樹が30になるから、その時は会いたい」と嬉しそうに言っていたと。
最後に叔父が、「友樹を捨てた悪い母だったが、どうかゆうこを許してやってくれ」と机に手をついて謝ったあと、母が作った通帳と印鑑を置いた。 
開いてみると私名義で一千万近い残高があった。
そんな母を凌辱した私はまさに鬼畜、母の人生はいったい何だったんだろう。
2
2017/02/15 13:35:47 (12tHRpTv)
デブでブスなババァです。現在55才です。
ノーブラで家にいました。誰もいないのを確認して、背後から乳を鷲掴みしました。
ババァのくせに拒否して恥ずかしそうにしたのがムカついて押し倒して強引に全裸にして即挿入してやりました。
ちょっと感じていたのもムカついて口の中に射精して口をふさぎ飲ませました。
その後、今日のことは忘れる!だから、もうしないで!とかぬかしたので、軽くビンタしてまた挿入してやりました。
気が向いた時に犯しています。本当は待っているようで最近パンティがハデになりました。そのくせ、やろうとすると少し拒否するので、やっぱりビンタしたり首をしめたりして犯しています。
3

年上の義妹と

投稿者:アキラ ◆Bg2dOyvA3s
削除依頼
2017/02/20 23:39:30 (.PXdThKa)
弟との嫁さんと関係を持って
しまいました。

私は夜勤専門のタクシー乗務員
で昼間は家で寝てる事が多く、
その日も、義妹は弟に言われて
お土産を持ってきました。

私の部屋をみて
「相変わらずと汚い部屋だね、
そんなだから結婚も彼女も、
出来ないんだよ。」
とバカにし笑いました。

頭にきて、つい髪を掴み引っ
張りまわしたら、倒れ四つん
ばいの状態でお尻突き出す形
になり、その大きなお尻を叩く
と文句を言ってたのが、
「あっ、あ」と艶ぽい声を出し
たので、我慢出来ず犯してしま
いました。
何度も中に出してしまいました


4

やらなきゃよかった

投稿者:らむ ◆jH3Q3bIrRM
削除依頼
2017/02/18 19:30:35 (1jZTyylA)
今からかれこれ4〜5年くらい前になる出来事ですが、俺の記憶の中に、その一挙一動を全て記憶している強烈な出来事を書こうと思います。

この話はあらかじめ概要を伝えておくと、俺の姉と、親戚の男(当時19 しかも、俺と同い年)がヤっている瞬間を好奇心から覗いてしまい、その影響で俺が狂乱し、その後に俺が姉貴を襲ってしまう。という話になります。暇を持て余し、尚且つ長文についてこれる方だけ読んでください。かなりストーリー重視でいく予定です。前半部、ほとんどエロ描写はないかもしれません。

俺の姉貴である、愛(当時24)は、俺の中でも自慢の姉だった。その訳は、俺は一見、背は高いがどこにでもいる普通の男であることに比べて、姉の愛は、身長172cmという長身で(両親ともに長身)中学〜高校とバレーをやっていたという事もあり、無駄な贅肉はなく、かなりすらっとして引き締まった体躯をしています。

それだけでなく、髪の毛は天然の黒髪のロングヘアで、顔型も、正直弟がいうのも変ですが、普通に男目線で見てもかなり美人です。

そしてファッションセンスで言えば、非常に黒を好み、姉いわく、一番好きな格好というのが、黒のワンピースに黒のストッキング、そして黒のヒール。だそうです。姉は「黒はアクセサリーとかいろいろ簡単に合わせやすいし、黒で統一してたらハズレないからw」と言ってました。俺はそんな姉に、「キャバクラ嬢か、まるで女スパイだなw」なんて言ってました。

そして俺は小さい頃から、親戚や近所や学校でも、「俺くんのおねーさん、ほんと美人だね」と言われて育ちました。子供の頃は、そんな事を言われるのが迷惑でしたが、姉貴が中学や高校に上がって成長した事により、弟の俺からみても、(くやしいけど、マジこれは美人だぞ。。)と思い始め、いつしか姉貴が美人だと褒められることに対し、弟である俺もすこし鼻が高くなっていたようなところがあります。

ですから、俺の学校生活では、真面目に姉貴に惚れている野球部の先輩からは、「俺くんのおねえさんって彼氏とかいるのかな?」と聞かれたり、ちょっとちゃらけた友人からは、「頼む>< 俺くん!おねえさんのパンツ1枚売ってwww」とか言われたり、いろいろ姉のネタで関わってくる奴も非常に多くいました。

そんな環境だったものだから、弟の俺だって、中学、高校の時から、(ねーちゃんはどんな男を彼氏にするんだろうな)なんていう特別な関心を持っていたりもしました。

しかし、やはり姉貴はモテるのですが、「私は安売りしないよ」なんて豪語していた事もあり、この出来事が起こるまでの間、家には姉貴の大学時代、真面目で優しそうな彼氏をたったひとりしか連れてきた事はありませんでした。また、その彼氏とも3年くらい付き合ってたので、このまま結婚するんだろうな。くらいに思ってました。

しかし、そんな僕の描いていた姉貴像(美しい、貞操観念が強い、しっかりしている等)を、徹底的に破壊せしめる出来事が起こってしまったのです。

前フリながくなりましたが、ここからタイトル通り、「やらなければよかった。。」の始まりとなります。
5
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