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近親相姦体験告白 RSS icon
※初体験のみ/続編は経過報告にて

短文の体験談は【禁断の木の実】に移動させて頂く場合が御座います。
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2017/02/26 10:17:09 (CiUhfXb4)
去年の夏・・
俺は我慢の限界を超えてしまい母親をレイプした。
母親からの抵抗は予想以上に強くて苦戦していた。
罵声の様な事を俺に言いながら抵抗してきた。
正直、途中で止めようか?
そんな事も考える程に母親は抵抗してきた。

しかし徐々に服を脱がし乳房を見てから気持ちは固まった。
母親のきれいな乳房を見て一気に欲情したからだ。
母親の両手を抑えながら乳房を舐め回した。
その最中も母親は身体を左右に振りながら抵抗していた。
20分くらい舐めていると母親からの抵抗は弱まってきた。
だが弱くなっただけで抵抗は続けていた。

左手で母親の身体を強く抑えながら右手を下半身へ移した。
短パンのチャックを開くとまた抵抗は強くなった。
しかし強引に下着の中に右手を入れた。
少な目の毛の奥に指を当てると濡れていた。
(心と身体は別物って聞いた事があったな…)

膣穴に指を入れると母親は悲鳴を上げてきた。
膣穴の中は予想以上に濡れていて少し驚いた。
(嫌がっていても身体は感じているんだ…)
指を動かすと今まで感じた事の無い感触だった。

俺は21歳になるが経験人数は9人。
全員が同年代だった女ばかりだった。
そんな女とはあきらかに感触が違っていた。
マン汁の感触がすごくねっとりとしていたのだ。
軽く指を動かそうすると動かしづらいというか・・・
ドロドロ・・・ネバネバ・・そんな感触だった。
(熟女ってこんな感触なのか?)
母親は46歳になるがそんな事を考えていた。

指での愛撫をしているとネバネバ感は増していった。
マン汁が指に絡み付いてくる様な感触に変わっていった。
それと同時に母親からの抵抗は急に弱くなっていた。
母親を見ると顔をそむけて辛そうな顔をしていた。

中指だけでは疲れるので人差し指も入れて2本で愛撫した。
ネバネバはベタベタ感に変わっていった。
これも10分くらいは続けただろうか・・・
母親は大きなうねり声を出しながら身体を膠着させていた。
(母さん…往ったんだ…)
母親は目を閉じたままで動かなかった。

(こんなネットリとしたマン汁はどんな味なんだろう?)
俺はそんな事を考えると母親の短パンを素早く脱がした。
脱がした途端に母親は動き出して逃げ様としていた。
俺は母親の両脚を両手で強引に開くと膣穴を舐めた。
舐めた瞬間に母親は
『駄目!…やめてっ!!……ああああ…』
この時に一瞬だが母親から甘い声が聞こえてきた。

マン汁を舐めるとやはり感触も味も違っていた。
舌での感触は固いというか重いというか・・・
解けかけたアイスを舐めている様な感触?だった。

舐めているとマン汁は流れ落ちる程に出てきた。
俺の口の回りもマン汁でベトベトになっていた。
両手で開きながら舌を奥まで入れて舐め続けた。
母親は荒い息遣いをする様になっていた。
時折には両手で口をおさえて必死に耐えている様子だった。
【母さん…感じているんなら…声を出しなよ…】
俺がそう言うと母親は違うとばかりに首を横に振っていた。
しかし激しさを増して舐めていると再び母親は膠着した。
始めの膠着よりも母親の身体は大きく仰け反っていた。

もう母親は動く事すら出来ないみたいにジッとしていた。
俺はもう入れたくて仕方が無かった。
俺は裸になると母親の脚を開いて身体を入れた。
『はああ…やっと…母さんの中に……』
【ええっ?……駄目よ…それだけは……芳彦…止めて…】
『もう我慢出来ないよ…母さん…入れるからね…』
『嫌ああ…駄目ええ……止めて……ああっ!!…ううぐぐぐ…』

母親を襲ってから入れるまでに1時間以上は掛かった。
中に入れた瞬間に物凄い快感が全身を襲ってきた。
初めて経験する鳥肌が立つ程の快感だった。
【ううあああ……すごい…何て気持ち良いんだよ…】
『うううっ……やめて…お願い…だから…抜いて…抜いてょ…』
【嫌だよ…こんなに気持ち良いオマンコ…初めてなんだから…】
俺はゆっくりと肉棒を動かしていった。
出し入れをする度に快感が何度も襲ってきた。

強い締め付けもそうだが膣穴の奥には何個も突起があった。
その突起が肉棒の先の部分を刺激してくるのだ。
【ああ…母さん…気持良いよ…たまんねぇや……】
『ううっ…うう…やめて…どうして……芳彦…』
母親は目に涙を浮かべながら言ってきた。
【母さんが悪いんだよ…こんなエロイ身体しているから…】
『ううっ……親子なのよ…こんな事…間違って…いるのょ…』
【母さんだって本当は気持良いんだろ…こんなに濡らしているんだから…】
『違…う……うう…そんな事…ううっ…やめて…もう…抜いて…』
【本当は良いくせに…じゃあ…本気で行くからね…】
俺はそう言うと強く激しく肉棒を突いた。
『ああああっ…駄目…ああ…やめて…駄目…ああああ…』

肉棒を激しく突いていると母親の表情が変わってきた。
辛そうな顔では無く感じている顔に・・・
身体からの抵抗も消え俺に身を任せている様子だった。

実は母親を襲う前に二度もオナニーしていた。
母親をレイプする・・・そう思うだけで興奮していたからだ。
だがそれが良かった。
オナニーしていなかったらすぐに射精感が来ていただろう。
それ程に母親の膣穴は感度が抜群だった。

『あああ…ああっ…駄目…ああ…あっ…ああっ…あああ…』
感じてきている母親の顔がまた妖艶な感じで良かった。
櫻井淳子に似ている母親の感じている顔に余計に欲情した。

『あああ…ああっああっああっ…あああ…また…イ…チャ…』
母親は三度目の絶頂に達した。
今まで以上に身体をくの字にしていた。

【母さん…またイッタんだね……気持良いんだろう…】
俺の問いかけに母親は無言だった。
【もっと…感じさせてあげるからね…】
俺は母親をうつ伏せにしてバッグから入れた。

母親の腰を強く抑えながら激しく肉棒を突いた。
『あああっ…ああっ…駄目…ああっ…壊れちゃう…あああ…』
【あああ…後ろからだと…一段と締め付けが強い…最高のオマンコだよ…】
『あああ…芳…彦…ああ…駄目…母さん…おかしくなっちゃう…』
【なあ…母さん…気持良いんだろ…答えろよ…ふん…ふん…】
俺は更に強く腰を突いた。
『ああっ…ああっ…あああ…そう…そうよ…気持…良いのよ…』
『ああ…芳彦…ああ…母さん…気が…狂いそう…良…い……』

女に変貌した母親はここから豹変していった。
自ら腰を振り騎乗位で激しく喘いでいた。
目は虚ろになり口からはヨダレも垂れるくらいに・・

【あああ…母さん…俺も…限界…出そうだよ…】
『ああ…解っているでしょ…外だからね…ああっ…外よ…』
【あああ…駄目だ……このまま…中に…ああ…中に出すよ…】
『ああ…ええっ?…中は…駄目ょ…中は…外に…外に出して…』
【ああああ…もう…このまま…出すよ…母さん…出すぞ…】
『ああ…嫌…中は…中は駄目……ああっ……止めてぇぇ…』

俺は母親の中に出してしまった。
それは今までに経験した事の無いくらいに大量の射精だった。
【はああ……母さん…ごめん…すごく…気持良くて…】
『はぁ…はぁ…どうして……今日は安全日だと思うけど…』

結局はこの後も4度も母親の中に射精してしまった。
安全日・・それがそうさせた原因なのだが・・・

この日から俺と母親は頻繁にセックスしていった。
抱けば抱く程に母親の身体は感度が増していった。
まさか母親が名器だったなんて・・・

余談になるが・・・
ここに書いた会話や言葉はすべて実際の事だ。
それはこの事を俺はカメラで録画していたからだ。
俺の仕事は出張が多い。
だから出張先で見る為に録画したのだ。
全部を書くと長文になるので要所だけを書いた。





21

高校教師の母

投稿者:タクヤ ◆RJQMbC.Bjk
削除依頼
2017/02/22 16:49:08 (zrYb1AYc)
今から3年ぐらい前の話になりますが、
僕の母は現在45歳で高校の教師をやっていて
僕が中学生の頃から友達からは「お前のお母さん綺麗だな」と言われるほど自慢の母で身長が148pで小柄なせいか実年齢より若く見られて顔は芸能人だと浅香唯に似て可愛いですが若干ポッチャリタイプなので小柄な割には胸やお尻が大きくて薄着になると特に胸の大きさが目立ち母と一緒に歩いていると男の視線が母の胸を見てるのがハッキリとわかることがあり母と一緒に歩くのが恥ずかしくなる時があります。高校教師をやっている母は美人で性格も穏やかで優しいせいか元々生徒から人気があったようなんですが、母の勤めていた高校は地元では評判の悪い高校で中学生の時にあまり勉強をしなかった僕は母が高校教師をして勤めている同じ高校に入学することになりました。
そして僕は高校でサッカー部に入部しましたが入部しすぐに僕は先輩や同級生からいじめにあうようになり最初は家で用意した水筒にお茶を凍らせて持ってくるよう命令されたり更にお菓子を持ってくるように命令されたり先輩からの命令は段々エスカレートし1番怖かった先輩からはお金を持ってこいと言われました。最初は母からお小遣いを貰ったり自分の貯金をおろしたりして先輩にお金を持っていきましたが、すぐに貯金もなくなってしまい母から小遣いも貰えなくなり先輩にお金を持っていけなくなりました。
僕は仕方なく先輩に「すいません、家にはもうお金がありません」と言って泣きながら先輩に土下座をしてあやまりました。
すると先輩がしばらく考え込み「じゃあお金の代わりに竹O先生のブラジャーとパンティを持ってこい」と先輩に言われました。先輩は僕の母親が同じ高校の教師の竹O先生だと知っていたみたいで、僕は先輩の命令を断ることもできず家に帰ると母の部屋のタンスをあさりブラジャーとパンティを先輩に持っていきました。
先輩は嬉しそうな顔で「サンキュー」と言ってすぐに母のブラジャーとパンティをポケットにしまいました。
そしてサッカー部の中で噂が広まり他の先輩や同級生からも竹O先生の下着を持ってこいと命令され僕は他の先輩や同級生にも母さんの下着を持っていきました。
そして先輩や同級生から「竹O先生のおっぱい凄いな」
「昨日竹パイで3回抜いた」「竹O先生を犯したい」
「竹Oのケツにぶち込みたい」とからかわれ
最初は母を馬鹿にされて母がかわいそうになり悔しくて仕方ありませんでしたが、そのうち同級生や先輩達が僕の母さんを性的な目で見てることで僕自身もムラムラするようになり、1番身近な僕が母さんのことを性的な対象として見るようになっていました。
そして、あの日の放課後にいつものように先輩の教室に水筒に入れたお茶を持って行くと教室の方から
「キャァー、エッチ」と言う女性の悲鳴がして
更に教室に近づくと「なにすんのよ」「やめなさい」と言う母さんの声が聞こえて教室の中を見ると先輩達8人ぐらいが母さんを取り囲み先輩が母さんのスカートを捲り上げ太腿やお尻を触っていて、僕は母を助けなければと思う反面に花柄のパンティと真っ白な太腿が露わになった母さんの姿を見て、僕は不覚にも勃起してしまいその場に立ち尽くしてしまいました。
そして先輩達の行為は更にエスカレートして
「先生おっぱいデカイな」と言って
後ろから母さんの胸を鷲掴みにしたり
「竹パイ見せろや」と言って
母さんのブラウスを引き裂いて胸を触ったり
「でかいケツしてるな」と言って
母さんのお尻を何度も叩いたり
「竹O先生、かわいいね」と言って
母さんに抱きつき顔や胸にキスをしたり
先輩達は小柄な母さんに対して、まるで小学生の女の子をからかうかのように屈辱しました。
そして母さんは「キャァー」「やめなさい」と悲鳴を上げてブラウスやスカートを押さえながら必死で抵抗していましたが、教室のドアの間から僕と目が合ってしまい一瞬僕と母さんの間に気まづい空気が流れました。
そして母さんは「タクヤ助けてえ」と言って僕に助けを求めてきましたが、僕は先輩達が怖くてどうすることもできませんでした。
そして先輩が僕が見ていることに気づき
「おい、タクヤ」と言って先輩が僕を呼びました。
僕が教室の中に入ると先輩は僕の股間を指差し
「お前、勃起してんだろう」と言ってきました。
僕は「勃起なんかしてません」と言って否定しましたが
僕は午後の部活に備えてジャージ姿だったので僕のジャージの股間部分は明らかに膨らんでいて勃起しているのが丸わかりでした。
すると、その様子を見ていた母はとうとう泣きだしてしまいました。そして泣いてる母を見た先輩は
「泣くなよ先生」と言って先輩達は教室から出て行きました。
そして教室の中は僕と母の二人っきりになり気まづい雰囲気になり、しばらく母は下を向いてしゃがみ込んだまま動けずにいて母のブラウスの隙間からは花柄のブラジャーとふくよかな胸の谷間が丸見えで僕は呆然と母の乱れた着衣姿を見つめて無意識のうちに息が荒くなり興奮していました。
そして興奮した僕は母のすぐ側に近づき母の頭を撫ぜて乱れた着衣姿を見ていると、母が僕の荒くなった息使いに気づいて泣きながらブラウスのボタンを留めはじめましたが、先輩から乱暴に引き裂かれた母のブラウスのボタンは3個ぐらい取れてしまっていて相変わらず母の胸の谷間が丸見えで、僕が母のすぐ側で胸の谷間を見つめて益々息が荒くなっていると、僕の視線に気づいた母は一生懸命に手でブラウスを押さえて大きい胸を隠そうとしました。
そして、そんな母に僕は益々興奮してしまい
「お母さん、おっぱい大きいね」と言うと
無意識のうちに母に覆い被さり母の大きい胸を触っていました。母は「やめてえ、タクヤ」と言って泣きながら抵抗しましたが、僕は片手で母の腕を床に押さえ付けてもう片方の手で母の胸を揉みしだきました。母の胸は想像以上に大きくて柔らかく僕の興奮は頂点に達しズボンの中で射精しました。そして興奮した僕は母のスカートを捲りましたが、母は必死で抵抗をして僕の手を振りほどき泣きながら教室から出ていきました。

あの日以来、僕と母のギクシャクした関係が続いており
勿論今でも母さんは僕の最高の性の捌け口です。



22

鬼畜

投稿者:友樹
削除依頼
2017/02/21 19:34:54 (iUJ5aSEj)
ここに多く投稿されているようなケースとは違い、私の場合母とのことは私自身の鬼畜ぶりを思い出すような辛い思い出。
元々私の家はとても仲の良い家族だった。
物静かで優しい父、私が子供の頃のあべ静江に似た美しい母、旅行も買い物も3人で出かけ、夕食も必ずと言っていいほど3人で食べるような家だった。
そんな幸せに満ちた家族が突然崩壊したのは、私が高校へ進学してすぐの頃だった。
原因は母の不貞、ある日突然母が離婚を切り出して家を出て行った。
まるで砂で作ったお城が波に洗われて一瞬にして崩れ去った、そんな感じだった。

父は生真面目な公務員、息子の私から見ても真面目で優しいが迫力とか面白みのない男だとは思うが、母はそんな父に物足りなさを感じていたのだろうか、私たちの知らないところで周到に準備して出て行ったようだ。
あまりにも突然だったので、私はどちらに付いて行くか選ぶことさえできず父のところに残るしかなかったが、母に私を連れて行く気は無かったろうし、私は私で大好きだった母が不貞をはたらいていたことがどうしても許せなかったから、もしも選べたとしても父のところに残ったと思う。

母が去ったあとの2年間、私は私が持っていた母や家庭と言うものの価値観や思い入れが完全に壊されて自暴自棄になった。
母、お母さんと言う言葉や、母と同じ「ゆうこ」と言う名前を見聞きするのも辛かった。
せっかく進学校に入学したというのに、地元の悪い仲間とつるんではタバコを吸ったり酒を飲んだり、父の財布から金をくすねて女遊びをしたこともあった。
しかし根は小心者だから、2年の終わりに親子で学校に呼び出されて「このままだと大学進学どころか3年への進級も難しい」と担任の教師から言われると、自分自身でもマズイと思い悪さをやめて勉強し、なんとか2流の私立大学に入ることができた。
私が合格の報告をした際には、ほとんどの教師が「あの不良が?」と驚いたそうだ。

あれは13年ほど前、私が20歳になってすぐ、父と二人の生活も落ち着いて、女手がなくても不自由を感じなくなった頃に、母が突然私の携帯に連絡してきた。
母が出て行った当時、私はまだ携帯を持っていなかったのにどこでどう調べたのかわからないが、何の前触れもなく突然電話してきた。
声を聴いた瞬間母であることが分かったので、何度かは何も言わずに切ったが、何度目だったか「切らないで!」と言う声が聞こえたので話すことにした。
私は適当に話してすぐに切ろうとしたが、私が20才になったのをどうしても会ってお祝いしたいと言って聞かなかった。

私は「そんなことしてほしくない」と言ったが、母が泣きながら何度も言ったので、とうとう会う約束をしてしまった。
会うからには母がいなくなってからの鬱憤を、思う存分ぶちまけてやろうと思った。
母は東京にいないのか、後日会う場所として新宿の高層ホテルを指定してきた。
ちょうど夏休み中だったが、約束の日が近づくにつれどんどん憂鬱になった。
当日の朝も「行こうか、やっぱり行かないでおこうか」と悩んだが、ドタキャンして逃げたと思われるのも嫌だったので、重い足で母の待つホテルに向かった。
ホテルまでは自宅から電車で40分くらいの道のりだが、その日は気が重かったせいか何時間もかかった気がした。

駅からホテルのシャトルバスに乗ったが、他の乗客や景色など、何も目に入らないほど緊張していた。
ホテルには夕方4時半頃着いたが、母の待つ部屋までエレベーターに乗ると、階が一つ上がるたびに心臓の鼓動が速まっていくような気がした。
母が待つ部屋のあるフロアーに着くと、私の緊張と憤りの混ざったような気分は頂点に達していた。
震える指で母の部屋のベルを押したが、恐らくベルを押してから母がドアを開けるまで10秒もかかってないはずなのに、何分もかかったように感じるほどだった。

「友樹…」、母は私の名前を口にしたあと言葉に詰まったようだった。
部屋に入ることもできずにドアの前で突っ立っていた私に、我に返った母が「遅いから来てくれないかと思った。さあ入って…」と言って私を部屋に招き入れた。
窓からの眺めが素晴らしい広い部屋だったが、母を見た瞬間驚きと違和感を感じた。
家にいた頃の母はすっぴんか薄化粧で、洋服も地味なものや清楚な感じのものを好んで着ていたが、この時の母は洋服こそそれほど派手なものではなかったが、少し染めているらしい派手な髪形に濃い目の化粧をして香水の匂いをぷんぷんさせていた。
あまりのギャップに私には、そこにいるのは母ではなく、母によく似た下品な中年女としか映らなかった。
しかし逆に目の前の母を「母によく似た下品な女」と思うことで、私の気も少しは楽になった。

「○○大学だって?こんなに立派になって…」、母はドアが閉まるとそう言って私を抱きしめたが、私は「はなせよ!香水臭い」と言って突き放した。
母は一瞬悲しそうな眼をしたが、すぐに笑顔を作って私に座るように言った。
そのあと3時間ほど面と向かって話をしたが、私は上の空と言うか、上っ面だけの反省の言葉や私に対する大袈裟な愛情表現が鼻について聞く気にならず、覚えていることと言えば、家を出るきっかけになった相手とはすぐに別れた、と言うか捨てられたということくらい。
どこで何をしているのか聞いたが、東北の方で仕事しながら過ごしているというだけで、具体的な場所や仕事については一切言わない母をぼんやりと見ていた。

窓の外がだんだん暗くなり夜景がきれいになった頃、母が「そろそろ夕食にしましょう。友樹は中華が好きだったから予約しておいたの。」と言って私をホテルのレストランに連れて行った。
さすがにホテルの中華だけあって豪華な料理が並んだが、何を食べても味がわからなかったし、その場いることが苦痛にさえ感じた。
会話がほとんどない食事を終えて私は家に帰ろうとしたが、母がもう少し一緒にいたい、もっと話をしたい」と、私の腕に縋りついて言ったので、こうなったら私も腹にたまった鬱憤をぶちまけてやろうと母の部屋に向かった。

私は母が出て行ってから味わった孤独や苦労、荒れていた時期のことなど、父にも言わなかったことを母に向かって次々とぶちまけた。
私も興奮して涙を目にためながら、ついつい声高になったが、母は私の言葉をじっと聞いて涙を流した。
私が言いたいことを言って一旦落ち着くと、母はその場の空気を変えようとしたのか、ルームサービスでスパークリングワインと簡単なオードヴルを注文した。
届いたスパークリングを飲みながら少し話をしたが、どんな内容の話したのかはほとんど覚えていない。

元々アルコールがそれほど飲めたわけでもないのに、興奮していたからか一本を大半を私一人で飲んでしまい、落ち着いて興奮が冷めかけてくると急に酔いが回ってしまった。
それでも意識ははっきりしていたので、23時を回ったころに帰ろうとすると、母が一緒に泊まってくれと言ってきかなかった。
「今晩だけ昔の親子の時のように戻ってほしい」と言うことだった。
虫の良すぎる話だと思ったが、変に酔いがさめてだるい感じだったので泊まることにした。
母は私が止まることを想定していたようで、タオル類やバスローヴ、アメニティも二人分用意されていたが、ベッドは身長が180ある私が横向きに寝れるほど幅の広いWベッドが一つだけしかなかった。

私が泊まることを告げると、母がお願いついでにもう一つとと言って「一緒にお風呂に入りたい」と言った。
私はさすがにそれは嫌だと言ったが、「どれくらい大きくなったか見たい」、「最後のお願いだから」と言うので、仕方なく了解した。
母が私の返事を聞いて嬉しそうに風呂の支度を始めたのを、私は酔っていたこともあるが、ただぼうっと眺めていた。
高そうな部屋だから風呂も少しは大きいんだろうが、ホテルの風呂なんて家庭の風呂と大して変わらない、そんなところに大人二人で入れるのか?などと考えていると、母が用意ができたと声をかけてきた。

いざ入ろうかとすると、やはり抵抗があったが「母ではなく母に似た下品な女」と思うことで、自分の気持ちに折り合いをつけた。
トランクス一枚になってバスルームに行くと、そこには髪を束ねて化粧を落とした昔と変わらない母がいた。
「母に似た下品な女」と思うことで気持ちに折り合いをつけたはずなのに、目の前の「母」を見て、とても複雑な気持ちに襲われた。
その複雑な気持ちを打ち消すために、私は頭の中で「母ではなく母に似ているだけ、こんな女が母のはずない」と自分に言い聞かせた。
入浴中、私は終始無言だったが、母はおそらく10年ぶりくらいの親子の入浴が嬉しかったらしく、私の背中を流しながら抱き着いてきて「大きくなった」と言って喜んでいた。

風呂から上がって体を拭いていると、母が全裸のまま「もう香水臭くないでしょう」と言って全裸の私に抱き着いてきた。
その時私の中で何かが音を立てて崩れた。
今となっては自分でも全く理解できないことだが、母に対して瞬間的に女を強く感じてしまった。
もちろん母は女としではなく母親の愛情で私をじっと抱きしめていたのだろうが、私は激しく興奮してしまい、母の腹の辺に密着していたペニスがみるみる間に勃起して母の腹に突き刺さるようになってしまった。

母はすぐに気付いて体を離したが明らかに困惑と動揺を隠せない表情を浮かべ、体を拭き終わると、まるで私から逃げるようにバスルームから出て行った。
もしかしたら母が普通に出ていけば何も起こらなかったかもしれないが、その時の私は「息子の私からまた逃げた」と受け取ってしまい、母に対する怒りがこみ上げた。
私はすぐに母を追って出ると「なんで逃げるんだ!」と言いながらベッドに組み伏せた。
もう自分が自分でなかった、「やっぱりこの女は母なんかじゃない」と言う気持ちがこみ上げてきて、気付いた時には母の上にのしかかっていた。

母もさすがに危険だと思ったのか、「友樹、乱暴はやめて、許して…」怖いものでも見るような眼で私の顔を見ながら言った。
私はその時の母の表情がたまらなく憎らしく感じて、「こんな女母じゃない、むちゃくちゃにしてやる」そう思った。
母は犯されるのではなく殴られると思ったのか、咄嗟に腕で頭を庇ったので首から下はノーガードだ。
私がすぐに母の乳房を鷲暖みしてしゃぶりつくと、母は私が殴る蹴るではなく自分を犯すのだということに気付いたようだった。
私は激しく抵抗されると思ったが、予想に反して母は一切抵抗しなかった。 
自分から積極的になるようなこともなかったが、無反応と言うか、体から力を抜いて私のしたいようにさせた。

私は怒りと恨みに歪んだ欲望が混ざって訳の分からない気持ちで母の体を弄んだ。
罵声を浴びせたり命令したり、思いつく限り母を凌辱した。
自分の腹を痛めて生み、約5年の間離れていたとはいえ15年もの間愛情を注いで育てた息子に凌辱され、苦痛だけではなく望まぬ快感を与え続けられる、46才の母にとっては肉体的にも精神的にも生き地獄のような一夜だったろう。
母は私の吐いた言葉に涙を流したり、痛いと小さな悲鳴を上げることはあったが、反論することはなかった。
また、無茶苦茶なことを命令しても素直に従うだけで、拒んだりすることもなかった。
私の欲望の赴くまま、それこそ一晩中母を犯しいたぶったが、母は最後まで涙を流しながら耐えていた。

どんなことをした、させたのか具体的なことを書くのは気が重いが、私自身の鬼畜ぶりを懺悔する意味で書く。
当時20才だった私の性知識の未熟さもあったが、それ以前に愛する相手を感じさせてあげようと言うつもりなど全くなく、ただ単純に私を捨てた母に対する恨みつらみをぶつけたい一心だった、つまりは復讐だ。
だからどうしても胸を揉むのも乳首を吸うのも荒っぽくなる、当然胸や乳首だけではなく、もっと敏感でデリケートなワギナに対しても同じように扱った。
指を無理やり突っ込んで力任せに掻き回したり、クンニリングスしながらクリトリスを噛んだりした。

母にはフェラチオはもちろん、尻の穴や足の指一本一本まで「お前が産んだ子だろ」と言って無理やりさせて、上手くできなかったりあまり気持ちよくなかったりすると、叩いたり蹴ったりして「もっと気持ちよくやれよ」と命令した。
母は黙って言われた通りにした。
丁寧でありながら絶妙の舌使いでペニスや玉、尻の穴、手足の指、私の体の裏表を余すところがないほど、例えるなら母猫や母犬が産まれたばかりの子の体を舐めてきれいにしてあげるように愛撫していた。
もしかしたら、母は本当にそういう気持ちで私の体を愛撫していたのかもしれないが、私はそんな母に苦痛を与えることしかしなかった。
この夜、多分5〜6回ほど交わったと記憶しているが、毎回全部母の中で射精した。
一回射精するとちょっとインターバルを取ったあと母に口で体中を愛撫させて勃起させる、そしてまた挿入、射精するということを繰り返した。
母が妊娠しようがどうなろうが、そんなことは私の頭になく、私を捨てて出て行った母を汚してやろう、無茶苦茶にしてやろうという思いだけだった。

カーテンの隙間から外の日差しが入り始めた頃、疲れ果ててうつぶせになっていた母を見て私はパウダールームに向かった。
そこに置いてあったアメニティの中から乳液を取ってベッドに戻った。
一晩中攻め立てられ呆然としていた母を四つん這いにすると、尻の溝に沿って乳液を垂らした。
多分冷たく感じたんだろう、母は「ひっ!」と言う声を上げたが、私は構わずにたっぷりと垂らしながら、下に流れ落ちる乳液をもう片方の手で受けた。
手に溜まった乳液を指にすり込むと、その指を母のアナルに差し込んだ。

この時初めて母が「いやっ!やめて!」と言ったが、私は構わずに指をグリグリ動かしてアナルを広げた。
同時に開いていた方の指をワギナに
少し緩んだところで指の本数を増やして円を描くように捏ね繰り回したりピストンさせているうちにかなり緩んできた。
私はペニスに乳液をたっぷり塗ると、そのまま母のアナルに根元まで突っ込んだ。
私がピストンしている間中、母は苦しそうに呻いていた。
全てが終わった後、私はシャワーを浴びて帰宅するときに母に「帰るから」と声をかけた。
母は精も根も尽き果てて声も出ないといった様子で、ベッドに転がったまま呆然とした表情で私を見ただけだった。

その1年後と2年後の同じ時期に母が会いたいと言うので会ったが、私は同じように一晩中母を凌辱した。
それきり母は連絡をよこさなくなったが、私は誰かと再婚でもしてどこかで生きているんだろうとしか思っていなかった。
最後に会った時に母は49才だったはずだから、どこかの後妻にでも入っているんだろうと思った。

あれは母と最後に会ってから6年ほど経った頃に母方の叔父(母の弟)から私のところへ連絡があった。
母が亡くなったという知らせだった。
くも膜下出血で、亡くなってから3日間後に出勤して来ないのを心配した店の人に発見されたそうだ。
父には申し訳ないが、私はたった一人の息子だから葬儀に来てほしいとのことだった。
私は心の中に物凄く疚しい思いを抱きながら母の実家のある静岡に通夜と葬儀に参列し、最後は骨を拾った。
葬儀から2週間ほど経った頃、叔父が私に話しておかなければならないことがあると言って上京してきた。

もちろん父は抜きで叔父と会った。
叔父から聞いた話だが、母は離婚後仙台に行ったが、そこで不倫相手に捨てられて、その後4年ほど福島県のいわきでスナックをやっていた。
ちょうどその頃に私に会ったと言ことになるが、母は叔父に「私と会えて、一緒にご飯食べたりお風呂に入って、すごく楽しかっ」たと言っていたとのこと。
その後2年間、母は私と年に一度会うたびに、叔父に「1年経ったら、また立派になってた」と、私の自慢をしていたらしい。
いわきの母の店はけっこう流行っていたらしいが、突然店を譲って小田原に移り住んだ。

理由は母方の祖父が具合悪くなったのと、私との中間点が小田原だったから。
叔父は母が小田原で何をしているのか知らなかったとのことだが、亡くなってから川崎のソープで働いていたことを知りショックを受けたそうだ。
叔父には「来年は友樹が30になるから、その時は会いたい」と嬉しそうに言っていたと。
最後に叔父が、「友樹を捨てた悪い母だったが、どうかゆうこを許してやってくれ」と机に手をついて謝ったあと、母が作った通帳と印鑑を置いた。 
開いてみると私名義で一千万近い残高があった。
そんな母を凌辱した私はまさに鬼畜、母の人生はいったい何だったんだろう。
23

年上の義妹と

投稿者:アキラ ◆Bg2dOyvA3s
削除依頼
2017/02/20 23:39:30 (.PXdThKa)
弟との嫁さんと関係を持って
しまいました。

私は夜勤専門のタクシー乗務員
で昼間は家で寝てる事が多く、
その日も、義妹は弟に言われて
お土産を持ってきました。

私の部屋をみて
「相変わらずと汚い部屋だね、
そんなだから結婚も彼女も、
出来ないんだよ。」
とバカにし笑いました。

頭にきて、つい髪を掴み引っ
張りまわしたら、倒れ四つん
ばいの状態でお尻突き出す形
になり、その大きなお尻を叩く
と文句を言ってたのが、
「あっ、あ」と艶ぽい声を出し
たので、我慢出来ず犯してしま
いました。
何度も中に出してしまいました


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2017/02/18 20:41:05 (Ju6n70Uo)
最初の初体験は3つ下の妹のアナル

2回目の初体験は5つ上の姉のマンコ

妹とは俺が高1の時にやった

近親相姦物のDVDを見て試したくなったから

まだ童貞だったから本当はマンコに入れたかったけど可哀想だからアナルにした

ローションとゴムを用意して妹を説き伏せて入れたからレイプじゃない

かなり痛がってたけど最後までやらせてもらった

その半年後に姉とやった

こっちは酔って寝てる間にパンツ脱がせて生で入れた

妹のアナルの締め付けには負けるけど中がウネってて超気持ち良かった

外に出す予定だったけど抜くのが嫌で中に出した

姉はその日は彼氏と飲んできたみたいだったから特に疑われなかった

これっきり姉とも妹ともやってないから後日談は無い

つまらない吐き捨てごめんな
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