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近親相姦体験告白

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カテゴリ: 近親相姦 禁断の世界
掲示板名: 近親相姦体験告白
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1:母との秘密
投稿者: ヨシキ
秘密というのは、自分の正体がわからなければ誰かに聞いて欲しくなるもの。
誰かに聞いてほしくてたまらない願望を叶えられる場所を見つけたので、私の秘密を書くことにした。
ここに書こうと思う事だから、お察しの通り私と母とのこと。
まるで女優のような、とても美しくて優しい母だったが、今から3年ほど前に齢60を目の前に亡くなった。
普通の母と子に戻って、わずか5年後のことだった。

私が16、母が39の時から15年間ほど夫婦のような生活をしていた。
こんなことは誰にも言えない、言えないことをしているという負い目のようなものが、いつも心に重くのしかかっていた。
だから高校でも大学でも、社会人になってからも、無表情で物静かなヤツとか、暗くて無口だとか言われていた。
何故かと言えば、口を開いたら心の重みに耐えかねて、つい秘密をしゃべってしまうのが怖かったからだ。

きっかけは父の死だった。
父は私が中学生の時に病気で倒れ、2年近い闘病後に亡くなった。
良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、最後の3か月は寝たきりだった。
葬儀からしばらくの間は母も忙しくて気が張っていたんだろう、私に悲しんだり落ち込んだりする姿を見せなかった。
しかし四十九日の納骨を済ますと、日々の会社勤めに看病やそのあとのことの疲れが出たのか、毎日のように浮かない表情を見せるようになった。

本当に仲のいい夫婦だったから無理もないことだが、高校生になっていた私はそんな母のことが気がかりでならなかった。
そんな折、母が夏風邪をひいて寝込んでしまった。
勿論近所の医者に連れて行ったが、その晩は熱がかなり上がって朦朧としていた。
医者からこまめな水分補給と、汗をかいたらすぐに体を拭いて着替えるように言われていたが、母は起き上がることもできないほどだったので、私がほぼ徹夜で世話をした。

そんな事態の最中だというのに魔がさしたと言えばいいのか、心の隙に風が吹き込んだとでも言えばいいのか、事もあろうに母に欲情してしまった。
きっかけは解熱用の座薬だった。
医者から「夜になっても38.5℃を越えているようだと危険なので、これを使いなさい」と言われて渡されたのがこの薬とごく少量のワセリンだった。
私は座薬というものを知らなかったので、どうやって使うのか聞いて思わず赤面したが、恐らく母が自分で入れるだろうと思った。

注射と飲み薬で40℃近くあった熱は少し下がったが、それでも深夜になっても39℃近い熱があった。
そこで医者から言われた通り座薬を使うことにした。
母に「これで熱を下げないと危険らしいよ、自分でできるでしょ」と言って渡すと、「しんどいし怖いから嫌よ」と言って使いたがらない。
今にして思えば無理に使わなくても良かったんだろうけど、当時の私は座薬で熱を下げないと重篤化すると思い込んでいたので、「じゃぁ俺がやってあげるから」と言って、嫌がる母の尻を剥き出しにして、入れやすいように四つん這いにさせて座薬を入れた。

肛門がよく見えるように尻の割れ目を広げると、その下の方に秘部までが少し開かれたような感じで見えた。
それまでの人生で感じたことのないような物凄い興奮だった。
そんな気持ちになると、それまでは何ともなかったことなのに、母の体をタオルで拭く手が震え、義替えさせるときに裸を見た時は激しく興奮した。
汗を拭くふりをして、母の秘部をじっくり見たり、そっと触ったりしたが、鼻血が噴き出るんじゃないかと思うくらい頭に血が上った。

深夜に水を飲ませた時、最初は吸い口で飲ませていたが、口のわきから水がこぼれたりむせたりしたので口移しで飲ませたが、これが私のファーストキスのようなものだった。
着替えもさせたが、パジャマを脱がせて汗を拭く際に、必要以上に時間を掛けながら脚をわざわざM時に開いて秘部を見たり、汗を拭うふりをして指でじかに触ったりした。
私のしたことに母が気付いていたかどうかはわからないが、翌朝少し熱が下がった時に「ありがとう、変なことまでさせちゃってごめんね」と言っていた。

私は母の手を取って、父が亡くなったあと大変だったろうけど、これからは俺が父の代わりにお母さんのことをしっかりと守るからと言って抱きしめて額に口づけをした。
母は少し驚いたようだったが、「ありがとう、頼りにするね」と言って俺の背中に手を回していた。
それから更に2日ほど寝込んでいたが、食べたり飲んだり着替えたりは自分でできるようになったので、手の届かない背中を濡れタオルで拭いてあげる程度になったが、それでも母の体を触っていると思うと、すごく興奮し勃起した。

この一件以来、私は母のことを母親としてみることができなくなった。
中学の頃から女性の体やセックスのことには人並み、或いはそれ以上に興味があり、いやらしい本やビデオをこっそり見たりしていたが、生身の母の裸を目にし、しかもじかに触れたことで、私にとって女性=母になってしまった。
高校生だった当時の私にとって親子であることが母を女性として見る、女性として愛してしまうことの妨げにはならなかった。

母が仕事に行っている間、私は母の下着やパジャマの匂いを嗅いだり、母が使っているベッドにもぐりこんで移り香を嗅ぎながらオナニーをした。
最初の頃はそれだけで十分だったが、日を追うに連れて母に対する欲望が私の中でどんどん膨らんで行き、母を自分一人の女にしたいという気持ちに変わっていった。
バカな話だが、母はきれいだったので再婚の話が来たらどうしよう、新しい彼氏ができたらどうしよう、独り身になった母を男は放っておくはずがないなどと、子供だった私は母を誰かに取られるんじゃないかと勝手に心配して不安に苛まれた。

11月、私の誕生日があった週の土曜日だったが、私はこの日のことを生涯忘れない。
父が亡くなって5か月余り経ち、日常生活にもようやく明るさが戻りかけた時だった。
母が私の誕生日を祝うためにちょっとした御馳走を作ってくれた。
その夜、母は普段滅多に口にしないポートワインを小さなグラスで3~4杯ほど飲んで、私にもお祝いだから特別に、と言って1杯注いでくれた。
私にはただ甘いだけに感じたが、初めて口にしたポートワインに少し酔ったのか、何となく顔がホンワカして気が大きくなった。

母も頬を赤く染めていつもより喋り笑っていた。
お祝いに何か欲しいものはないのかと母に聞かれたが、別に欲しいものはなかった。
そこで私は思い切って、欲しいものはないけれど、今夜は一緒に風呂に入って母のベッドで甘えながら寝たいと言ってみた。
すると母はにこにこしながら半分吹き出しながら「え?そんなことで良いの?」と言って、思っていたよりも簡単にOKしてくれた。

しかし風呂に入ったは良いが、私は完全に興奮して舞い上がってしまい勃起しっぱなし。
母は気付いていたようだが、そのことには一切触れずに「丁寧に洗いなさいよ」と言うくらいだった。
風呂から上がったあとは、母のベッドで一緒に寝た。
そう、私が時々もぐり込んでオナニーしていたベッドだが、父と母が一緒に寝ていたWベッドで一緒に寝た。
私が先に入ったが、母はドレッサーで肌の手入れか何かしてからベッドに入ってきた。
何とも言えない良い匂いがして、私の性欲をくすぐった。

私はすぐさま母に体をくっつけて胸をまさぐった。
母は特に驚くことも嫌がることもなく、「強そうなこと言っても、まだまだね」と言って触らせてくれた。
私が「強そうなことって?」と聞くと、母は優しい声でクスっと笑いながら「お父さんの代わりに俺が守るって言ってくれたでしょう」と言った。
私は「守るよ、でも今夜は甘えたいだけ」と言いながら、母のパジャマの前を開いて乳首に吸い付いた。
母はキャッと声を上げたが、「なに甘えてるの、赤ちゃんみたい」と言って、それを止めさせるようなことはなかった。

母が止めないのをいいことに、私は左右の乳首をしつこく触ったりしゃぶったりした。
ただしゃぶるのではなく、強弱を付けたり甘噛みしながら手で揉んだりした。
母の呼吸が少しだけ荒くなった気がしたが、私はかまわずに続けた。
すると母の息がかなり荒くなったので顔をちらっと見ると、私から顔を背けるように真横に向けながらAVで女優が見せるような悩ましい表情を浮かべ、私が手を握ると母の方から強く握り返してきた。

私は乳首をしゃぶっていた唇を胸元から首筋に向けて何往復も這わせた。
母は「はぁはぁ」と荒い息を吐いて私の手を握る力が強まったが、私を止めたり避けたりすることはなかった。
私が耳を舐めると、母は「あっ!あぁぁ…」と声を出して、「なにしてるの?ダメよ…」と言ったが、私が首筋や耳をしつこく舐めていると甘い声を上げるだけで、それを止めさせようとか逃げ出そうとかは、一切しなかった。
私が喉元にキスしながら反対ぐぁの耳を舐めようとしても、私の動きに合わせるかのように顔を動かしていたほどだった。

反対側の耳や首筋に散々舌を這わせてから顔を上げた時、薄暗い中で母と視線が絡んだ。
母は悩ましげな表情で声を震わせながら「もういいでしょ、早く寝ないと…」と言った。
私は「もういい」はずもなく、空いていた左手で母の顔を何度か撫でたあと、少しだけ開いていた唇に自分の唇を重ねた。
母は「んっ…」というような息を漏らしたが、全く抵抗しなかった。
唇を離して母の顔を見ると、怖いものを見るような目で私の顔を見ながら「ダメよこんなこと…」と言ったが、もう一度唇を重ねて激しく求めると、手を強く握り返してきただけで抵抗もせず、唇を離しても何も言わなかった。

私は狂ったように母の体中に唇や舌を這わした。
母は甘い声を上げながら、時折力のない声で抵抗の言葉を口にしたが、実力で私の行為を阻止しようとせず、パジャマを脱がせショーツ一枚の姿にした時には、抵抗の言葉すら口にしなくなっていた。
抵抗らしい抵抗と言えば、私がショーツの中に手を入れた時に脚をぎゅっと閉じたくらいだったが、手のひらを滑り込ませると脚から力が抜けた。
指で秘部をそっと触るとヌルヌルになっていたが、女性を知らない私だったが直感的に母は感じて濡れていると確信した。

そっと指を動かすと、母は我慢できないといった感じの声を上げ始めた。
右手で母の秘部を弄りながら左手で母の手を握ると、母は強く握り返してきた。
私が母の手から手を離して両手で母のショーツを脱がそうとすると、気のせいかもしれないが少しだけ腰を浮かせて脱がせやすくしてくれたように感じた。
私は母の秘部にしゃぶりついた。
本やビデオで見てやってみたかったからだったが、本やビデオでは映像と音はわかっても味や匂いまではわからないので、匂いを嗅いだり味わったりしてみた。

舐めるのに夢中になっていたが、途中で母の上げていた声で我に帰った。
生まれてから一度も聞いたことがなかった母のあの時の声、普段はあんなに清楚で品の良い母でも男と交わるときにはこんな風になるんだと思うと、少し複雑な気持ちになった。
それでシラケたわけじゃないが、舐めるのを止めて母の顔を覗き込むと、息絶え絶えという感じで「もう意地悪しないで…」と言って唇を求めてきた。
私は母の言った言葉の意味をバカ正直に受け止め、これ以上のことはしてほしくないのだろうと思いながら母のキスに応じた。

キスを終えると母は何とも言えない切ない表情で私の顔を見た。
その表情を見て「ちょっとやりすぎちゃったかな」と思った瞬間、母の手がパジャマのズボンの中に入ってきて、カチンカチンに勃起していたペニスを触った。
母は無言のまま体を起こすと、私のパジャマのズボンとトランクスをいっぺんに脱がせた。
そしてペニスに手を添えて上を向かせると、その上に跨るようにして母の中に導きいれた。
それは一瞬のこと、あまりにも唐突なことだったので、私は呆気にとられた。
ヌルッというかズボッというか、私のペニスが初めて濡れ潤った粘膜の感触に包まれた瞬間だった。

母がゆっくりと腰を動かし始めた。
自分の手よりもかなり緩く感じたが、ヌメるような感覚と温かさが気持ちよかった。
母は喘ぎ声を上げながら腰を前後上下に動かし、私は自然にその動きに合わせて腰を動かしていた。
たまにタイミングが合ってペニスの先が奥に強く当たると、母は「あぁっ!」っと大きめの声を上げた。
母の腰の動くが徐々に速くなっていき、それに合わせて膣の締まり方がきつくなって行ったように覚えている。

私は限界に近づき、母に「お母さん、出ちゃうよ」と言ったが、母は甘い声を上げながら腰の動きを止めようとしなかった。
「あっ!出ちゃう!」私はそんな風に言ったと思うが、母の中で射精してしまった。
母もその瞬間少しトーンの高い声を上げて、秘部でペニスを根元まで飲みこむようにぐっと腰を落としてきた。
母は私の上で何度がブルブルッと震えると、私に覆い被さるように抱き着いてきた。

しばらく抱き合ったままでいたが、母が泣き出した。
私が何故泣くのか聞くと、母は声を震わせながら「ヨシキとこんなことしちゃって…、お母さんなのに恥ずかしい」と言った。
私が母にキスして「そんなことないよ、俺が親父の代わりをするって言ったでしょう」と言うと、母は泣きながら「そうだったね」と言った。
私はそんな母が愛おしくて、何度も何度もキスをして強く抱きしめたが、セックスは一回きりだった。

その翌朝から私たち親子は、それまでとは全く違う感覚で接するようになった。
母の気持ちはわからないが、少なくとも私は母のことを、もう母親とは思えなくなり、一人の女性、しかも何もかもが初めての女性だっただけに、母親以上にかけがえのない存在になった。
家の中で母と過ごす笑顔の絶えないような甘く楽しい時間が、外にいる時の暗く無口に過ごす時間を支えていた。
平日の夜や休日、二人で過ごす時間はいつも母に甘えるようにベタベタしていたが、そんな私のことを母は拒むことなく受け入れてくれた。

16才と言えば、体だけはほぼ大人だが精神的にはまだまだ子供、とかく自分の欲望のままに突っ走ってしまったと思う。
初めての時の少しあとからベッドを共にするようになったこともあるが、母が隣にいれば手が胸や股間に条件反射的に行くようになり、意味なくキスを求めた。
しょっちゅうチュッチュというよりはベロベロという感じのキスをしていた。
それこそ毎晩のようにセックスを求めたが、生理中や体調不良でない限りは辛そうな顔一つせずに私の求めに応じてくれていたし、生理中でも私が求めれば口や手でしてくれた。

避妊は膣外射精だけでコンドームはほとんど使わなかった。
最初の頃、ほんのわずかな間だけは使っていたように思うが、いつの間にか使わなくなった。
出したくなると最後は母が口で出させてくれていたが、確実に安全な日は母の方から中出しを求めてくることもあった。
また後年、母はピルを服用するようになり、それ以降はほとんど母の中で射精するようになった。
母も30代の終わりから40代後半までは性欲が強く、初めての時に涙を流して恥じていたほどだったのに、これが当たり前になると親子でのセックスにのめり込んでいたようだった。

私にとって休日は最高だった。
普段私は学校、母は仕事で夜だけしか一緒に居れなかったが、休みの日は土日なら土用のお昼過ぎから月曜の朝まで、祝日は前夜から24時間以上母を独占できたからだ。
だから1日中ベッドの上で裸の母の体を触ったり舐めたりしていた。
性欲もさることながら女性の体への興味が強かったから、どこがどうなってるのか?どこをどうすると女性は感じるのかというようなことを見たり確かめたりしたかったからだった。
明るいところで母の秘部を広げて観察のようなことをしては「恥ずかしい」と叱られたものだった。

高校生の時は毎晩のように母を体を求めたが、少し落ち着いたのは大学生になってからだった。
それでもサークルに入ったり彼女を作ることもせずに、大学からバイト先、そして家を往復する毎日で、何よりも母と二人きりで過ごす時間を大切にしていた。
激しく求めあうのは休日とその前の夜だけになったが、それでも週に2~3回は愛し合っていた。
私自身、母と子のセックスという事を除けば、セックス自体は至ってノーマルだったと思うが、こればかりは直接他人と比較できないので何とも言えない。

関係が終わる少し前までは、今思い出すと赤面してしまいそうなほどベタベタイチャイチャしていた。
母は嫌がったが、私は入浴前で汚れたままの体でも構わずに触ったり舐め回したりして、気分が高揚すると、そのままソファーや絨毯の上でセックスしてしまうこともあった。
もっともそんなことばかりしていたものだから、母は帰宅後に先ず入浴するようになり、私にも入浴しろというようになった。
私は母の体を汚いとか臭いとは一度も思わなかったが、母もやはり女性だから気にしたのだろう。

関係が始まって5年ほど経った頃になると、母が私の将来ことを心配してか、他の女性と付き合うように言い始めた。
確かに大学やバイト先には年頃の可愛らしい女性がいたが、いくら声をかけたところでそう簡単に付き合ってくれるはずもなかったが、その中で一人だけ私の誘いに応じて食事や買い物に付き合ってくれた二つ年下の女性がいた。
バイト先で知り合った女子大生でしばらく付き合ったのちに肉体関係まで発展したが、彼女は処女だった。
当然のことながら母のように色々なことをしてくれるわけではない、というよりもできなかったから、私にとっては凄く物足りない相手だった。

母に彼女とはどうだと聞かれたので正直に話すと、母は「その子を自分好みに変えて行くのも初めての男の責任みたいなもの」と言われたので、時間をかけてゆっくりと私好みに変えていった。
私好み=母と同じことをしあえる、という事だ。
情けない話だが母以外の女性を知らなかった私は、母から受けたアドバイスのまま彼女を育てるように変えていった。
それでも当時の私にとっては母が一番であり、それが原因で途中何度か離れたり復活したりを繰り返しながら、母との関係が終わったのちに妻にもらった。

もちろん妻は私と母のことなど全く知らない、妻と交際しながらその一方で母と禁断のセックスをしていること知られていたら、今の私たち夫婦はなかった。
逆に母とのことがなかったら、その年頃なら植えた狼みたいな感じで妻との付き合いもセックス中心になってしまい、気に入らなければ次から次みたいな感じになり、多分結婚まではたどり着けなかったと思う。
母とのことで性的に満ち足りていたから、妻に対してもガツガツせずに優しく接することができたのだと思う。

母との関係が終わった、終えざるをえなくなったのは私が31、母が54の時だった。
理由は母の婦人科系の病気、手術後も関係を続けようと思えば問題なかったようだが、母からちょうどいい機会だからもう止めようと言われて終わることになった。
最後に一晩だけという事で関係を持ったが、濡れ具合も悪く、母の顔を見るととてもつらそうな表情を浮かべていたので、もうおしまいにしないといけないなと私自身も感じた。
翌年私は結婚し、母の勧めもあって家から出ることにした。

それからわずか5年、母は急逝した。
勤め先で体調の急変を訴えて救急搬送されたが、救急車の中で意識を失ったまま二度と目覚めることはなかった。

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