私は変態です。
何故自分がこうなったのかを振り返るにあたり、過去の女性達との普通ではない関係や行為を書いていこうと思います。
フィクション混じりだと考えていただけると嬉しいです。
さて、前回書いた彼女(Cさんとします)との経験を経て、私は
「求め合うことで人は満たされる」
というように考えるようになりました。
惜しみなく愛を注ぐことも素敵ですし、そんなことができる人はなんて素晴らしいのだろうと心底思います。
ただ、私にはそれが見も心も寒すぎて耐え難いことだったのです。
さて、前の彼女とはもはや別れていないだけ、のような状況になった頃。
私は訪問販売系の仕事をしており、お客様の家に上がって商談をする日常でした。
そんな中であった彼女は、私には違った意味で衝撃的でした。
関係でいうと私のお客様の娘さんで、年齢は中3でした。
よくいるバンギャ(今でもそう呼ぶのでしょうか?)のような外見で、漆で塗ったような短めの黒髪に
くっきりとした化粧、いくつもあけたピアスとボディピアス、そしてたまらない肉感の体をしていました。
とはいえ私も自主的にお客様の娘に手を出そうとは考えもせず、当初はただ単純に仲良くしていました。
しかしこのお客様はよく約束を破る方で、お宅にお伺いしてもいないことはしょっちゅう。
それも遅刻なんだか忘れているんだか、連絡がうまく取れずわからない方でした。
奥様もご多忙で、家にはよく彼女がいたのですがそれなりに話す関係でしたので暇つぶしにあがってきなよ、と言われ話相手になったものです。
当初は学校がつまらないというような話でしたが、親があんまりお小遣いくれないし構ってもくれないんだよね、となり
気がつけば援助交際を積極的にしているという話をされていました。
お客様の娘ながら、あんまりいいことではないんじゃないかな、お父さんには言わないけど。などと言っていたところ
彼女の返答は「じゃあ、抱いて、時間と寂しさを忘れさせて」
冗談だろ、とかやめてくれよ、とか一通り抵抗はしたのですがあ、そう、ふーん、じゃぁお父さんにあることないこと言うか。ときました。
しぶしぶ私は私服の彼女とホテルに行き、行為に及ぶわけですが内容もありがちなものでした。
彼女はMでした。
個人的な経験に基づいてなのですが、こういう、昔で言うところのビジュアル系な女性はMの比率が高いように思います。
まぁそれはどうでもよく、彼女は羞恥系のことは好きではなく屈服させられることや服従させられることを望んでいました。
例えば噛まれた後を舐められたり。例えば拘束されたり。例えば猿轡を咬まされたり。
例えばバックで髪を掴んで犯されたり。例えば首を絞められたり。例えばビンタされたり。
例えば抵抗できない状態で尻を開発されたり。例えば動けない状態で足指を舐められたり。
例えば拘束されてイラマチオされたり。例えば顔にかけられた精液を広げられたり。
普段はけだるそうで、大抵のことは無関心で、お風呂には一緒に入りたがり、終わったら裸で一緒に寝る。
そんな人間なのに体を重ねている間はこの調子でした。
彼女との関係は私がその会社をやめるまで1年ほど続いていました。
今では普通に幸せになっているのかと心配ですが、体を重ねた情というよりは、単純に心配だからという調子です。
彼女との関係で私が思ったのは、やはり人は体を重ねて、誰にも見せられない部分を曝け出さずにはいられないのだということでした。
それが自分は認められている、生きていてもいいのだという生の実感を与えてくれるものであると。
私はこれを幸せな実感であるとは考えておらず、こうせざるを得ない自分や彼女たちは、ともすると無様なのかもしれないと思います。
ですが、私たちは間違っているのでしょうか。
認められている、受け入れられていると他の手段で実感できない私たちは間違っているのでしょうか。
間違っているからアブノーマルであるとされ、理解されないのでしょうか。
次回は次の女性のことを書いていきます。
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