僕が本格的に女装を始めたのは高校生の時。
ツイッターのタイムラインに流れてきた、やたらフォロワーの多い女装娘の画像を見て『これくらいだったら僕が女装した方が…』と思ったのが切っ掛け。
「これくらいだったら僕の方が可愛くなりそうじゃない?」
化粧のやり方なんて知らない僕は、ツイッターの画像を姉ちゃんに見せながらたずていた。
思惑通り、姉ちゃんは僕に化粧を施してくれた。
ただし、計算外だったのは、化粧した僕の画像を、姉ちゃんが自分のツイッターに投稿してしまった事だ。
「ヤバッ、凄い事になってんだけど」
翌日の夕方、僕の女装を投稿した姉ちゃんのツイートは、けっこうな数のいいねがついていた。
まだ『いいね』じゃなくて『お気に入り』だった頃だけど。
それに気をよくした姉ちゃんは、僕の女装に協力すると言うより、僕の女装アカウントを作り、フォロワーを増やす事に躍起になり始めた。
結果的に、僕は何の苦労もせず、ウィックや衣装を含む女装道具と、けっこうな数のフォロワーを短期間で手に入れる事ができた。
今より、女装アカウントと言うか、ツイッターの日本人ユーザー自体が少なかった頃だって事もあるけど、僕はかなりいい気になっていたし、自分の女装を自画自賛していた。
いまだに、当時の画像をNAVERまとめなんかで目にする事があるから、たぶん客観的に見てもなかなかだと思う。
習い事と塾で、子供の頃から自由がなかったし、学校でも地味で目立たない方だった反動か、女装アカウントでツイッターをやってる時だけは、別人になれたようで楽しかった。
自画自賛と言うより、僕は女装した自分に恋してる節もある。
いつしか、僕のオナニーのオカズは、女装した自分の姿になっていた。
元々、僕はSMに興味があって、女性が責められてる動画でオナニーしていて、いつかは女性を自分好みの性奴隷に調教したいと考えていた。
女性を調教したいと言うS性をもちながら、面と向かって女性と話す事も出来なかった僕が、自分の女装姿でオナニーするくらい、自分の女装姿を好きになったんだ。この後のことは必然だったのかもしれない。
鏡の中でオナニーしてる女装娘を、自分好みの性奴隷に調教してやろうと言う、ちょっと危ない性癖を抱くようになっていた。
こうして僕は、誰かに調教されたいと言うM的な思考ではなく、女装した自分を調教したいと言う極めてS的な思考でM性を開花させていく。
自分を調教すると決めた日、僕は首から下の毛を全部剃った。
脚の毛はツイッターの為に、普段から姉ちゃんの脱毛器で処理してたから、正確には脇とチンポの毛を剃った。
最初に始めたのがアナルと乳首の開発だった。
何が正しいかわからない中、ひたすらネットで調べながら開発を進めた。
鏡の中の女装娘を、アナルか乳首でイカせる事が出来ないまま、無駄に知識ばかり豊富な頭でっかちになって、大した効果もない開発用のオモチャが増えていった。
浣腸して限界まで我慢している時に、すました顔で自撮りしてツイートしたり、下半身裸でアナルにバイブを入れたまま、上半身だけをツイートしたりしていた。
そんな画像に、何も知らない人達が当たり障りのないコメントをくれることが面白かった。
でも、すぐに飽きた僕は、鏡の中の女装娘に、もっと過激な要求をするようになる。
吸盤のついたディルドを鏡に着けた後、そのディルドに自分の精子をかける。
自分の精子でドロドロになったディルドをフェラする鏡の中の女装娘と見つめ合いながらオナニーする。
最初はディルドに精子をかけた時点で賢者タイムになって、自分の精子を舐めるなんて到底出来なかった。
何度も失敗して、その度に罰をかすようになった。
1ヶ月のオナ禁をしたり。
体育がある日に、女用のパンツを穿いて学校に行き、クラスの皆にバレないように着替えたり。
夜中に女装して家を脱け出して、近所のコンビニでコンドームを買ったり。
最早、罰なのかなんなのか解らない罰をかして、自分の精子がついたディルドをフェラする鏡の中の女装娘と見つめ合いながらオナニーする事が当たり前になっていった。
勉強やスポーツと同じで、それまで出来なかった事が出来るようになっていくのが快感になっていた。
鏡の中の女装娘が、どんどん変態になっていく過程を客観視しながら、支配欲が満たされていた。
同時に、僕は更なる刺激を求めていた。
鏡の中の女装娘を調教するなんて言っても、所詮はオナニーに過ぎないし、オナニーで得られる快感なんて知れてる。
自分で描いたシナリオじゃ結末を知ってる映画を観てるのと同じだ。
誰かと実際にプレイしたいと思うようになった。
風俗も考えたけど、当時の僕にそんな金なかったし、補導されて学校や親にバレるリスクを考えると、その選択肢は真っ先に消えた。
女装娘なんだから男とするべきだと思ったし、その方が苦痛だと考えて、僕は女装した自分を、他の男に貸し出す事にした。
早速、その手のサイトを調べて相手の男を募集した。
だけど、なかなかいい相手は見つからなかった。
自分を調教する為に、かなりの知識を得てしまっていたせいで、僕より知識のある相手に出会えなかった。
眠たい退屈なメールか、Sと傲慢を履き違えた間抜けなメールしかこなかった。
僕は調教を託す事を諦めた。
SMじゃなくていいから、男とセックスすることにした。
初めてだからと甘えて、見た目のいい男に的を絞って相手を探した。
結果、当時26歳の男とホテルに行く事になった。
最悪だった。
緊張してた僕に、凄く優しくしてくれたし、オナニーじゃ得られない快感はあった。
だけど、本来ゲイでもなんでもない、女が好きな僕にとって、男とキスしたり、チンポを舐めたりするのは、想像以上に苦痛だった。
吐きそうなくらい気持ち悪かったけど、僕が貸し出した女装娘が、苦痛に耐えてると客観視する事で、辛うじて最後まで乗りきった。
この男は頻繁にメールしてくるようになった。
正直、僕は男とセックスした事を後悔していた。
何日も何日も、長い賢者タイムが続いている気分で、ツイッターも見れなかった。
それでも暫くすると、僕は鏡の中の女装娘を、もっともっといたぶって苦しませたいと思うようになっていた。
ずっと無視してた男のメールを返して、会う約束をした。
長い賢者タイムに陥った罰として、相手の精子を飲むというノルマをかした。
本当に最悪だった。
終わった後、やっぱり後悔した。
それでも僕は、この男と何度もセックスした。
男のメールは必ず返して、誘われたら絶対に断らないよう、鏡の中の女装に命じていたんだ。
毎回、最悪な気分だった。
カッコいい相手でもこんな有り様だった僕は、見た目が最悪な相手だったらどうなるんだろうと考えるようになっていた。
そしてまた、僕はサイトで相手を募集した。
今度は見た目が好ましくない相手を選んだ。
よく肥えた体に、脂ぎった肌の中年の男だった。
僕の女装やパイパンのチンポに鼻息を荒くするこの男は、発する言葉の1つとっても、一々気持ち悪い男だった。
セックスも乱暴で雑で、自分の欲求を満たしたいだけに思えた。
本当に吐く寸前で耐えながらセックスしていた。
それでも、この男とセックスした事で、最初の男とのセックスが苦痛じゃなくなった気がする。
この2人の男との関係は、僕が高校を卒業して、進学の為に地元を離れるまで続けた。
絶対に誘いを断ってはいけない鏡の中の女装娘は、どちらか片方とセックスした足で、もう片方の男の所へ向かう事もよくあった。
男とのセックスにもだいぶ慣れて、アナルの感度も少しずつ上がってきていた僕は、地元を離れて独り暮らしを始めると、自己愛と自虐趣味が更にエスカレートしていく。